深夜特急3

深夜特急3 インド・ネパール編 沢木耕太郎著 新潮文庫
40年も前、沢木(現在71歳)が大学卒業し銀行に入社するもその日のうちに退社し放浪の旅に出たときの紀行文です。
旅の始まりの香港・マカオ(深夜特急1)から最終目的地の南ヨーロッパ、イギリスロンドン(深夜特急6)までのバックパッカーでのバス旅行記録です。
今回紹介する「深夜特急3」は、私が関わっているネパールでの紀行文が再発行されたというので読みました。
40年の前のことなのに、彼の旅行記に書かれていることは今も変わらず「そうそう、わかるわかる」と「今もおんなじよ」という気持ちでワクワクしながら読みました。
都市部はネパールもインドも近代的になっているかもしれませんが、彼が入り込んで生活した貧困家庭地域の様子は今も同じです。つい最近まで毎日停電があったし、携帯電話やスマホはないし、煮炊きは木の枝燃やしてかまどで作っていたし。
私はそんな地域で暮らす子どもたちやお母さんたちのお手伝いのような傍観者感覚で、年に一度そんな地域を訪問してきましたが(コロナ禍で2年間訪問停止)、彼は40年も前、地域の人々に同化し生活を共にして、それを楽しみ驚愕しそのことを淡々と日記をつけるように書き記していたのです。
私にはしたくてもとても出来ない彼の体験を、隣に座って一緒になって見ているおばさんの気持ちになって、大変興味深くドキドキして読みました。
沢木さんはその後、ノンフィクション作家、エッセイスト、小説家として頭角を現し数々の賞を得て現在に至っていますが、彼の作品の根底にあるのは、インドからロンドンまでの旅での経験だったろうと思われて、彼の作品にはどれも惹かれています。
大ファンです。

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殉教者

「殉教者」  加賀乙彦 著 講談社文庫
主人公ペトロ岐部カスイは1587年に熱心なキリシタン両親のもとに生まれ、13歳で有馬のセミナリオ、コレジオ(高等神学校)に入学し、ラテン語、倫理学、文学、西洋音楽という恵まれた高度な教育を受けた。
しかし時代が信長から変わりゆき、幕府による禁令の発布で学舎は破壊され徳川幕府に変わる頃には、大勢の神父と修道士、日本人教師、キリシタンの信仰を持った人々は、次々斬首されていった。
ペトロ岐部は身をひそめキリシタン信者を守りながら、この惨状の委細を目録に書きとめなければならないと思い、殉教者の名前、逮捕のきっかけ、吟味の方法、拷問の有無、帰天の年月日を史実として書きとめた。著名なキリシタン大名高山右近が長崎に宿泊し右近の聴罪師になっているイエズス会のモレホン神父のこともしり、神父も殉教者の記録をしていることが分かり、互いに意思が通じ合いローマに知らせ記録を後世に遺そうと言うことになった。
その頃は貿易のためのオランダ人以外の出港は禁じられていてキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れている江戸時代初期。岐部は密かに長崎の港を後にしてマニラに向かって脱出する。(この時高山右近もマニラに追放されている)。
それからペトロ岐部の長い旅がはじまるのである。目指すは聖地エルサレム。交通機関もない時代です。
長崎→マニラ→マカオ→マレーシア→インド、ゴア→イラク→シリア→ガラリヤ湖→エルサレム→トルコ→ヴェネチア→アッシジ→ローマ→モンセラート→マドリード→リスボン→ ここから海路 モザンピーク→インド、ゴア→マラッカ、マレーシア→タイ→マカオ→マニラ→トカラ列島→京都→東北→江戸(小石川)→殉教
それは400年前に日本人で初めて聖地エルサレムを単身で訪れた14年にわたる記録である。
ローマでイエズス会の神父にもなっている。
彼の目標は、日本に戻って潜伏キリシタンの力となり、最後は殉教し主のもとに帰るという揺るぎない信仰を守った52歳の生涯でした。
前回の本棚で、沢木耕太郎の紀行文の面白さを紹介しましたが、この岐部の過酷と思われる旅程も大変魅力あふれ、命を捧げる喜びに支えられている殉教への道のり、悲壮感が感じ取れません。一途の信仰に頭をたれるばかりです。
著者 加賀乙彦は全行程を巡礼の旅として訪れ(もちろん現在の交通機関を使って)構想30年、史実に忠実に沿って書かれた、ペトロ岐部カスイの14年にわたる彼の言葉で語る聖地巡礼の紀行文とも言えるでしょう。

ペトロ岐部カスイは、2008年11月に187人の殉教者と共に列福されました。

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旅のつばくろ

「旅のつばくろ」電子オリジナル版  沢木耕太郎著
沢木耕太郎は、著名なノンフィクション作家であり、エッセイストであり、バックパッカー旅の深夜特急シリーズ紀行文には魅了されていた。
でも、中でも一番印象に残っているのは「凍」というヒマラヤのギャチュンカン北壁(7985m)に挑む登山家の山野井泰史、妙子夫妻の登攀ノンフィクション小説だった。これは、この私の本棚ブログの2010年2月4日に紹介しています。
沢木さんはこれといった登山経験がないのに、手に汗握る息もつかせない登攀の状態を、夫妻を何十回も訪ね何時間ものインタビュウからこのノンフィクション小説を書かれたということを知った時の驚愕が忘れられません。
沢木さんが外国には足繁く行ったが自国日本をめぐる旅をしたいと思われて2020年4月に発行された41編の旅を綴った本です。
東北から始まるどの編も大変面白く興味深い旅ですが、驚いたことにはその中の1編に「近くても遠いところ」という編があり、東京近郊の奥多摩湖のことでした。そこには山野井夫妻が住まわれているところでした。
・・・奥多摩湖は、私がギャチュンカンの話を聞くために何十回も訪ねた場所だった。今住んでいる世田谷から行くには直線距離で行くと短いが何度も乗り越え優に3時間半はかかり往復7時間はかかるもう一つの実に長い旅・・・
「近くても遠いところ」、ではご夫妻の今の生活については具体的に書かれていないのだけれど、ご夫妻の純な気持ちが匂い立つような、人里外れた奥多摩周辺の情景が素敵な筆跡で書かれています。
「凍」を読んでから10年たち、誰かのヒマラヤ登攀ニュースをきくと、手足凍傷でなくしている山野井夫妻は今はどうしてられるのか時々思い出したりしていました。
「深夜特急3」でネパール・インドの旅が出版されていることを知り早速注文した。
そのうちに紹介します。

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かこさとし

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「かこさとし」別冊太陽 日本のこころ248 子どもと遊び、子どもに学ぶ
加古里子(1926~2018)絵本作家 工学博士 その他 の 生涯の記録です。

 かこさとしは陸軍士官学校を目指す、疑いもなくはっきりした軍国少年でしたが、目が悪く体も弱く戦地に赴くことはなく軍需工場で昼夜働いていました。戦況はますます悪化し家屋は空襲で全焼、8月の玉音放送にはもう敗戦の衝撃はなくなってしまいました。
 負けた途端民主主義に鞍替えした大人には幻滅し、出征を強いられた友人は皆戦死し、一人生き残った自分はこれからどう生きていくのか苦しみました。

 1年ほどして掴んだ答えは
「死んだ仲間のぶんまで生きて、軍人を志した自らの過ちを償うために残りの人生を捧げる」という強い決心を持ったことです。92歳で亡くなるまでその決意はゆるぎもしませんでした。
 
 戦後東京大学工学部に戻り工学博士になり卒業後は昭和電工に47歳まで働きます。
大学では「東大セツルメントクラブや演劇部に所属し、演劇や紙芝居、童話などでセツルメント活動し、会社人となっても、休日と余暇のすべてを子ども達のために使う日々でした。
 子どもたちに戦争の過ちを教え、平和の世界を共に作ることを願って92歳で亡くなるまで発信を続けたのです。

 【セツルメント:ドイツに始まった、社会から差別され虐げられた人々のために無償で働く活動】
彼の作品の全てにその願いが込められているのが分かります。

 絵本で人気になったのは「だるまちゃんとてんぐちゃん」のシリーズでだるまちゃん家族がてんぐちゃん家族と楽しく平和に暮らす日常を描いた絵本です。昭和45年前後、5~6歳だった息子たちと一番楽しく読んだ絵本は「トコちゃんはどこ?」です。すぐどこかへトコトコ駆け出すトコちゃんを探す絵本はお気に入りで、今も私の本棚にあります。
 久しぶりに取り出してみますと、松岡享子作で絵がかこさとしでした。
 トコちゃんはお母さんお父さん或る時はおばあちゃんと出かけてトコトコ駆け出していき、どこにいるのかを探す絵本です。或る時は市場、或る時は動物園、海水浴、お祭り、デパートと見開きいっぱいに賑やかな場所の様子と集まった人々が描かれているのです。見開きいっぱいに100人はくだらない子どもたちと大人。動物園ときたら見開き2枚に渡って動物たちと人々。みんな心から楽しんでいるのが笑顔と仕草で分かります。
 童話絵本のほか、子どもたちが何度も読んだのは科学絵本シリーズです。「川」「山」「台風」「ダム」「太陽」などなど、美しい自然自然開発の事実を科学的に詳しく説明しながら楽しく描かれています。

 今さらながら気づいたのですが、加古さとしの本は、子どももですけれど、大人が感動する本だということです。

 「宇宙」という科学絵本があることを知り読んでみます。

 

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猫だましい

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「猫だましい」ハルノ宵子 著
著者ハルノ宵子さん(漫画家、作家、エッセイスト)のことは、この本を知るまで、作家吉本隆明さんの長女で妹が吉本ばななさんであることは知らなかったです。

 推薦文によると「自身の一筋縄ではいかない闘病と、様々な生命の輝きと終わりを、等価にユーモラスに潔く綴る名エッセイ。」ということで、関心があって購入した。
 「様々な生命」というのは<糖尿病で視力を失いながらも死ぬまで思索を続けた父>と<ワガママ放題をし‘セルフ尊厳死’を遂げた母>と<こよなく愛する猫(飼い猫と外猫)の輝く生命のことです。

 自分自身は乳がん、大腿骨骨折、大腸がんを患いながらの親と猫の介護と看取りの出来事を、日々闘いながら綴っています。彼女のアルコール依存症についてもくったくなく書いています。

 猫の命と人間の命とを同じ目線でとらえているところに学ぶところがありました。獣医さんと人間相手の医者とも同じ目線で捉えています。著者の医者に対する目線は厳しく、主治医のO竹先生にたいする彼女の信頼と愛情はゆるぎないものです。

 知人に愛猫家や愛犬家が多くいて、家族より猫犬への愛情が強い気持ちが分かりにくかったのですが少し理解できました。

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ベツレヘムの星

「ベツレヘムの星」 アガサ・クリスティー著 中村能三 訳
アガサ・クリスティー(1890 ~ 1976)は少なくとも中年以降の人は一度は読んだであろうイギリスのミステリー小説家です。人間の深層にせまる優れた洗練されたストーリーとどんでん返しのミステリーに私もはまって若い時に何冊も読みました。
数年前でしたが友人がクリスマスに「ベツレヘムの星」面白いから読んでみてとプレゼントしてくれました。私のアガサ・クリスティー小説イメージと全然違った本で驚き新鮮に感じました。
クリスマスが近づきもう一度読んでみたところ、更に深い感動を呼び覚ましてくれみんなに紹介したくなりました。
赤木かん子さんの推薦文をそのまま引用させていただきます。
・・・
聖書に題材をとった物語と詩を集めたクリスマスブックです。人間の心理についての鋭い観察力と卓越したストーリーテリングが作り上げた小宇宙は、ミステリに劣らぬ驚きと優しいさわやかな感動に満ちています。
・・・
クリスティーは毎年クリスマスに新刊をだしたそうです。「ベツレヘムの星」はミステリーではないので、あまり知られてないそうですが、これぞ人間が持つミステリーゾーンを鋭くついた最高の逸品だとおもいます。
11の短編からなっていますが、クリスマスなのですべてキリストとマリアの話です。
大人用のお話、かなり辛口、しんらつ。聖書を知らない読者には、意味が伝わらないかもしれないかな。

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富士日記 上・中・下

「富士日記」上・中・下 武田百合子 著
2020年11月18日の朝日新聞朝刊「時代の栞」に、<富士日記>が取り上げられたので驚いた。ちょうど読み終えたばかりだったので。
昭和の著名作家、武田泰淳の妻百合子の日記である。泰淳が亡くなった後に出版された。
1966年(昭和39年)7月から昭和51年9月17日までの富士山麓に建てた山荘での生活を13年間にわたって記録した日記である。
泰淳(当時39歳)より13歳年下の百合子(26歳)は3回にわたる堕胎のあと4回目で目出度く(?)女児出産結婚した。文壇で売れっ子になり始めていた泰淳と銀座のカフェの従業員の百合子であった。
百合子はこの人のために身も心も捧げ尽くしたいと願ったと思われる。そして愛情をもって明るく生き抜いた日記である。
執筆で忙しくなっていた泰淳は仕事場として、又都会からの喧騒を避け富士山麓に山別荘を建てることになり、そのための騒動、車が必要で百合子が運転免許を取り、百合子の運転で東京と山荘を行ったり来たりの山荘での生活が記録されている。
日記を書くことに百合子は最初気が乗らなかったが、夫泰淳が代わりばんこで書くことぐらい出来るだろうということから始まったようである。これも泰淳の命令には一切逆らわない。おそらく泰淳は百合子の才能に気づいていたと考えられる。泰淳の記録も合間に少し書かれているけれど、百合子の記述のほうが格段に読みやすく楽しい。
その日記は山荘での生活の1日の様子が、事細かく食料の買い出し、食材の一つ一つの値段が油揚げ2枚40円という具合に記録され、朝、昼、晩の食事メニューが書かれてある。
例えば引用に短い記録を紹介しよう。
・・・・
昭和40年8月11日(水)曇り 明け方急に涼しくなって、寝ていて喉が痛くなる。1日中、低い小さな声で話す。お芝居をしているよう。午前11時、河口湖局に原稿を出しに下りる。
ビール2打、ハシゴ1900円、のこぎり2丁600円 トマト、ひき肉、きゅうり、菓子などを買う。
朝・ご飯、茄子中華風炒め 大根おろし、しらす 昼・ふかしぱん、紅茶 夜・コロッケ(鮭缶を入れたら主人まずがる)ご飯、トマト。
・・・・
だいたいこのような内容の生活記録が上・中・下3巻まで延々と続く。
食事のメニューで変わらないのは大根やコンビーフなどの缶詰。大根おろしは毎日です。ビールは必ず。食事の内容が乏しい。泰淳と百合子2人共60代で亡くなったことも影響しているのかなと思った。泰淳が病気になってからごはんが麦飯に変わったが。
それと百合子の飲酒運転。急に泰潤が今から東京へ帰るというと、その前にお酒を飲んでいたかはお構いなし、睡眠時間短くて居眠り運転もしょっちゅう。もう泰淳の望みはすべて受け入れる。
合間には原稿出しに行くはもちろん泰淳の原稿で、電話も引かず出版社や新聞社からの連絡は電報でのやり取りや、百合子が東京まで車を飛ばして持参する。晩年は、清書や口述もこなし出版社に届ける。Faxなどない時代だった。
お隣に別荘を建てた泰淳の親友の大岡昇平夫妻との交流は素晴らしいもので、山荘生活ではなくてはならない事でした。別荘の建物などを取り仕切る地元の植木石工職人たちとの温かい交流、など夫泰淳の望みを全部生き生きとして叶える百合子。
百合子の楽しみは庭の植木草花、おとずれるリスやうさぎや小鳥たちあらゆる生き物とのふれあいである。これは泰淳も好みだったが、彼の一番の関心事は富士山麓の赤い溶岩の収集だった。もちろん百合子の運転で探しに行く。今では禁止されていると思われるが。
寄宿舎生活の娘花子との学校休暇ごとの絆も良い関係。
3巻目の終わり頃になり、泰淳が病気になってからの日記には記録内容は変わらないのに勢いがなくなり、記録が途絶えたところもある。泰淳の身体を心配する気持ちが何気ない所作の文章からひしひしと伝わってくる。
夫に捧げ尽くした妻の愛の深さが、単純な出来事の文章の羅列なのにひしひしと読者の胸に伝わってくるのは他に類を見ない日記と思った。
夫を始め夫の友人、山荘のお世話をする職人たち、四季折々の草花、生き物、愛犬ポコ、小鳥、カエル、虫に対する純粋な愛情を、豊かに醸し出す文の力には驚かされ良い本との出会いだった。
田村俊子賞を受賞した。

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海馬

「海馬」(脳は疲れない) 池谷裕二と糸井重里 との 対話
 東京大学大学院薬学系研究科教授で海馬や大脳皮質の可塑性の研究者である池谷裕二氏(1970年生)とコピーライター、エッセイストの糸井重里氏(1948年生)の対話集です。
・・・・・・
池谷:「最近物忘れがひどいんです。」という話をよく聞きます。「もうこの年齢だから、今更脳を鍛えるのも限りがありますよね」という声もよく聞きます。そんな事はないんです。その誤解を解くだけでもずいぶん違います。」
糸井:それはいい情報ですね。知りたいです。
・・・・・・・・・・・・・・
ということから話が始まり、人間が身につけていく記憶、知識を司るところが海馬であり、その海馬をどのように育てていけばいいかということが認知症にならないための鍵であることを、質問、応答(ちょっと難解なところもあり)を楽しく話し合われた対話集です。

 老人になると脳は衰えていき回復できないけれど、海馬は鍛えれば育てることが出来るのだそうです。海馬の横には扁桃体があり、相互の連携は欠かせないとのことで、先日この本棚で紹介した「アーモンド」の話に扁桃体のことについて少し知っていたから納得も出来ました。
海馬は直径1センチ長さ5センチほどの小さいものだけれど、記憶や知識を溜める重要な機関なので脳の奥の大切なところにしまわれています。
 記憶には勉強して記憶するものと体験から記憶することと2つあります。勉強の記憶は学校での授業や受験勉強とか言う形で海馬に溜られる。一方体験によるによる記憶も海馬に溜められるのですが、生きていくのには体験の記憶のほうが役に立つことは誰もが経験済みのことでしょう。
 人生をボケないで豊かに過ごすには経験がものをいい、経験が「海馬」に記憶されていきます。質の良い体験は扁桃体とコミュニケーションをとりながら、快感を感じとり、「海馬」が活性化されていくという。それが海馬における可塑性(自力で変容出来る自発性)です。
 喜びや楽しさを感じる体験を扁桃体と海馬が連絡し合いながら積み重ねていく知識は生涯衰えることはなく、脳は老化していくけれど海馬は活性させていければ認知症にはならないということだそうです。
 「クイズ」や「数独」には正解がありますが、思いがけない発見は未知なる物への知識を生み出し物事の認知力を高め、脳を老化させないということです。海馬を活性化しないと認知症になるのです。
 脳の3大神経物質といわれる・アドレナリン・ドーパミン・セロトニンも海馬の活性と同時に出てくるのです。
 私は昨年夏までは、ラリグランスクラブの活動のためにネパールにも出かけ、運営資金調達のためバザーを開催し野山を歩き、元気に生活していましたが、思いがけず癌を患い抗がん剤後遺症で寝込み、やっと恢復の兆しが出てきたところにコロナ禍で家に籠もることを強いられてしまいました。海馬は弱まり知能、認知能力の低下は当然のことでした。
 身体改善のために、①運動 ②栄養 ③ストレス解消 に励んできましたが、筋力はついてきたとの自覚があるのですが、③が上手くいかず、異常とも思える物忘れと気力、集中力の衰えが酷くなってきて不安になっていました。
 でもこの本のおかげで、これからは積極的に身近なところでの発見体験を重ね日々楽しく暮らしていけば、海馬の活性化に繋がり、物忘れは改善されるらしいとの希望が持てた本でした。

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(続)思い出株式会社

「(続)思い出株式会社」土屋嘉男(1927-2017) 著
 著者の土屋嘉男氏は黒澤明映画監督に見いだされた著名な映画俳優で、有名な黒澤映画「七人の侍」でも重要な配役だったそうです。私は時代劇が好きではなかったのが「七人の侍」だけは観て非常に感動したことを覚えています。でも七人の侍の中では三船敏郎と志村喬しか覚えていません。七人の内の一人が土屋嘉男氏というのはこの本を読むまで知りませんでした。この本は友人から「貴女は絶対面白く思うよ」と勧められて「そうかな?」と思いながら購入しました。
読む前にネットで土屋嘉男氏のプロフィールを読み、医師の道を途中で辞めて、俳優になられたことや、俳優業だけではなく趣味も一流で多才な才能を持たれる魅力のある方と知りました。随筆も評判で何冊も出版され、フラメンコ・ギター、登山、スキー、モトクロスなどのアウトドアスポーツも万能、戦争の悲惨さも体験されていて、彼の思い出随筆を大変興味深く読みました。

 小説や随筆などを読む時、背景が自分に馴染みの場所かどうかで面白さが全然違います。
土屋嘉男氏の思い出話の中には、私の馴染みの場所がいっぱいでグイグイ引き込まれました。
前半は彼の故郷山梨県塩山での思い出話です(昭和12,3年頃?)。勝沼のぶどう畑のことや、田舎で暮らすやんちゃ坊主の生活が書かれていています。
 それから35年程後になるのですが、私が蓼科に山荘を建てたくて東京から通っていた時は、まだ中央高速道路が開通されず山梨で一旦一般道路に降りました。勝沼のブドウ園でブドウを必ず食べて、息子たちは畑田んぼで走り回って一休みした場所なので、彼の塩山の思い出生活にとても親近感を持ちました。
 後半は土屋氏が山荘を建てたくなり軽井沢の候補地をやめて蓼科に建てられたいきさつや山の暮らしが、またまた共感でき楽しくなり一挙に読みました。

 2017年2月に89歳で亡くなられたそうですが、晩年は蓼科ですれ違ったかもしれないと思ってますます親近感を持ちました。

 私も含め周りは老人でいっぱいですが、老人は色んな思い出を個々に持っているんだなとも思わされました。

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くさぐさの花

KIMG0245siifuyoくさぐさの花  高橋 治 著
リハビリのためのウオーキングを日々続けています。街中植物観察家として路傍の草花を観察しベンチでの休憩時に俳句をひねり楽しみながらのリハビリです。
今の時期、空き地や路傍にピンクの5片の大花を開く芙蓉(フヨウ)を見るのを楽しみにしていました。そんな中、明け方白く咲いた花が夕方にはピンクに染まる芙蓉を見つけたと友人からのメールが来ました。
見たことないので植物に詳しい友人に尋ねてみると「知ってる知ってる」と。
酔芙蓉という名で高橋治の小説「風の盆恋歌」で有名になり石川さゆりの歌にもなってカラオケでも唄ったという。許されない恋に悶える悲恋の小説、唄(なかにし礼作詞)
高橋治は何年か前に朝日新聞のコラムに、四季折々の花とそれを詠んだ歴代の俳人の句をあげて洒脱なエッセイを書いてられたのを楽しみにしていたことがあり俳句の評論家かと思っていた。
高橋治をネットで調べると直木賞や柴田錬三郎賞などを受賞された著名な小説家であることを知った。数ある著書の中に昔私が熱心に読んでいたコラムが本になり出版されていることが分かり、すぐ購入したのが『くさぐさの花』と『木々100歌撰』です。掲載されている花はそれぞれ100点以上あります。
ちなみに酔芙蓉は「木々100花撰」に取り上げられ、芭蕉、水原秋桜子、中村汀女、高濱年尾の4俳人の句があります。水原秋桜子の句には感銘を受け、趣味に俳句というのは憚れる思いで気力失いました。
「酔芙蓉白雨(はくう)たばしる中に酔ふ」水原秋桜子
(写真はピンクの芙蓉と、午後3時色づき始めた酔芙蓉です。クリックすると大きくなります。)
 

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