ジェ−ムス神父のバニアタール子ども村について

「ある一人の神父」がカトマンドゥからバスで3時間ほど西にあるMalekhuという町 でバスを降りて北に向かいまる2日間けわしい山道を歩いた山の中の貧しい村を通り かかりました。「その村」の悲惨なほど貧しい人々の生活を目にして心を痛めたこの 神父は、村の人々の苦しみを少しでも軽減する方法を見つけようと、その村に留まり ました。神父の純粋な愛に気付いた村人は次第に神父の元に寄り集まり話を聞くよう になります。この老神父の説くキリストの教えは村人にとっては将に福音そのもので した。次々と洗礼を受け村中のほとんどの人々がカトリックに改宗しました。

 神父はこの愛する村の人々を飢えから救う事と、子ども達の教育が必要だと考えま した。この村の農業では村人全員の食料が得られないし、学校がない村なので子ども 達の教育が出来ないのです。そこでこの山村の子ども達をカトマンドゥに送り、集団 生活をさせ食べさせ学校に行かせる事を考えました。

 その困難な仕事を引き受けたのがジェームス神父です。2年前ジェームス神父は不 便な山村から出てくる子ども達のための住居として、カトマンズ市郊外のバニアター ルという村の古いカーペット工場を借りたのです。このようにしてバニアタール子ど も村が出来たのです。このカーペット工場の土間に作られた3段ベッドの畳1畳分の 広さが一人分の持ち物の置き場であり寝室であり勉強部屋です。

 70人の子ども達が出ていったことで山村の食料不足はいくらか楽になりました。 しかし農地がないため困る家庭もあり、その家族もバニアタールに移住してくるよう になり、70名の子ども達のほかに、いくつもの家族がこの周りに移住してきはじめ、 砂運びや石割りで生活しています。その家族の人達の心配もジェームス神父の仕事に 加わりました。この冬、ドクター高尾がバニアタール村を訪れたとき、ジェームス神 父に頼まれて診察した、一人のおじさんは日本では救急車で病院に運んで治療するほ どの重体でした。しかしネパールではなす術もなく、その夜死んでいきました。その 葬式もジェームス神父の仕事です。

 子ども達の生活の場として借りている古いカーペット工場の家賃は6000Rs (日本円で約一万円)です。神父は今その家賃を払わなくて良いように新しく住まい を作ろうとしています。高尾先生は子ども達の栄養状態を心配しています。一緒にこ こを訪れた瀬川さんは子ども達の衣類や毛布が必要だと痛感し、日本で集めて運ぼう と考えはじめました。

 この文の最初に書いた「ある一人の神父」というのはワットリン神父という1955年 にアメリカからセントザビエルに赴任してこられたイエズス会の神父です。

 神様のように尊敬されているこの老神父のお陰で、この古いカーペット工場の土間 で行われるミサには150人以上もの人々が聖体拝領に並ぶというのは驚きです。