ネパールの国花:ラリグランス 

2002年12月28日よりポカラの会のメンバーがネパールを訪問されました。
今回、代表の倉光誠一先生と内科医の高尾精一先生たちががバニヤタール村に寄り医療活動をしてくださいました。
以下はその時の様子をインタビュー形式にまとめました。

−バニヤタールではカトマンズに着かれた翌日行かれたのですね。
倉光:はい。着いた翌朝9時セントザビエルに行ってジェームス神父に会い2台のタクシーに分乗し神父のバイクの先導でバニアタール村に行きました。

―子供達の様子は如何でした?
高尾:意外に子供たちは、元気だったという印象を受けました。ビタミン不足のせいでしょうか、唇の脇がビランしたり、成長が悪い子供もいるようですが、空手をしたり、笑顔の子供たちに、極限の悲惨さは感じませんでした。もちろん住居は例のカーペット工場ですから、換気は悪く冬の今、夜がひどく寒いのは大変なようです。また子供たちの食事の様子も実際に見たわけではありません。たった二日しかなかったので、すべてを見たわけではありませんが・・・・・。

―神父様が手に入れたいとおっしゃっていた土地をご覧になりました?
倉光:はい。古いカーペット工場を借りているこの建物から少し北の方に新しく建物を建てるという現場に案内されました。急な斜面を切り開いて上に行くほど狭くなる3段ほどの階段状の敷地が作られつつありました。その一番下には小さな煉瓦つくりのトイレかシャワー室か?中を見ませんでしたが出来ていました。その次の段に子ども達の家を造る計画のようでしたが、砂ばかりの斜面で、あんな地質の斜面に家が建つとは私たち日本人の感覚では考えられないような危険な所のように思えました。

―地域の人々への診療はどのように行われたのですか?
倉光:バニアタールで施設を見学した後、3列に並んだ子ども達に大人も混じった行列が聖堂にも使われる広い土間に入ってきました。何が始まるのだろうと思っていたら、それがこれからドクター高尾の診察を受けたいという  100人ほどの患者さんの行列だったのです。
―どんな患者さんが多かったのですか?

高尾:内科的には胃腸の悪い方、目や耳の悪い方、咳や喘息の方が多いという印象を受けました。

―患者さんの言葉はネパール語でしょう?
倉光:そうです。でもネパール語を日本語に通訳してくれる人はいませんので、患者の訴えを英語で神父さんが高尾先生に伝え、高尾先生は診断結果と薬の使い方を英語で神父さんに話し、神父さんが患者さんにネパール語で話されるという面倒な診療活動が続くのです。

―そして治療はどのように、、、?
高尾:皆が訴えに対してやたら薬を欲しがるのには驚きました。この辺は薬依存症の日本人患者と変わらないなあと感じました。心身症的訴えの方もいました。この方も薬を欲しがり、本当に日本と同じだという思いがしました。子供の発熱や血便のケースもありました。検査も出来ないので血便の原因は分かりませんが、赤痢や細菌感染性腸炎を疑ってホスミシンという抗生物質を処方しました。しかし一日の付き合いなのでその後が分かりません。乳児死亡率が高いのは無理もないと思いました。

−倉光先生は?
倉光:私たちは外科部門を受け持ちました。主に足の小さな怪我が化膿して腫れたものが大部分で 何日も洗ったことのないような垢まみれの足の患部を脱脂綿に付けたイソジンでこすって、皮膚を破いて青白い膿を出し軟膏つきのガーゼを切ってあてがい絆創膏で止めるか包帯をするといった治療です。そのうちに口コミで伝わって次々と人々がやって来ました。恐らく夏の雨期にはこの種の患者が急増するだろうと思いました。

―怪我の他には?
倉光:耳が痛いという患者には困りましたね。耳鼻科の用意をしてきていなかったからです。何年も耳の掃除などしたことのない人たちでしょう。せめて耳垢掃除の準備だけでもして来れば、そして耳に噴射する薬でも・・・と言うのが今後の反省点でした。

―どんな薬が役にたちましたか?
倉光:高尾先生の準備された医薬品は余りにも高級なもので使用法の説明が難しく、その為に一人当たりの診療時間が長くなり、押し寄せた大勢の患者さんを診療するのは1日や2日ではとても無理な状況でしたね。日本人のドクターに診てもらえると言うのでそれほど重症でない人も大勢集まってきたようでした。

高尾:おっしゃるとおりでしたね。新薬を持ってくるよりも、素人でも適当に飲めて安全で安い薬、ビオフェルミンや正露丸を持ってくれば良かったと反省しました。
「抗生剤によるアレルギーはないか?」「妊娠していないか?」「体重は?」など細かく聞いてから使うような新薬はその後の経過も見られない診療では無理がありますね。

倉光:例えば「腹痛や下痢の患者はこの列に並んでください。」と言って、正露丸は分封機で数粒ずつ分封したものを大量に準備し、「1回に1包1日3回飲みなさい。」と言うことで何日分か手渡す。と言うようにすれば短時間に大量の患者さんを見ることが出来るでしょう。消化器患者の列・呼吸器患者の列・耳鼻科患者の列・外傷患者の列と並んで貰って診療すると能率があがるのではないでしょうか。

高尾:呼吸器では喉が痛い、扁桃腺肥大とか分かるものの他に、やはり結核らしい人もいたようですが適切な処置は出来ませんでした。
また2日目のことですが一人の老人が重症の喘息で死にかけていました。日本では直ちに入院して集中治療すべき状態でした。しかし、かかりつけの国立病院の医師は、入院治療は無駄であると言ったのでした。その日、彼はもう薬も飲めない状態でゼーゼーと苦しんでいました。家族から相談された私は、別の病院にもう一度入院加療の相談をするようにと言いましたが、費用のかかるそのような治療は無理だとジェイムス神父は言われました。その日の夜、その老人は亡くなられました。ネパールの医療レベルの低さ、お金がなければこの国では最良の医療は望めないことなどが印象に残りました。
誰でも最大限の診療が保険で保障される日本は、本当に恵まれた国だと思います。

高尾、倉光:今後のために非常に貴重な多くの経験をすることが出来ました。

―ところでボランティアの元教師の渡辺さんは元気に働いておられましたか?
倉光:はい。しかし渡辺さんのことでは私たちは随分考えさせられましたねえ。 渡辺さんの話では、70人の子ども達の栄養状態は極めて悪く、タンパク質もカルシュウムやビタミンも足りない。お金を寄付しても神父はいま建設費に回してしまって、子どもの食料や学用品には回らないのではないか?などいろいろ批判されていました。

高尾:そうそう。渡辺さんはマオイストのテロの予告で学校が長期休みになったりで子供たちの教育が順調に出来ていないと言っていました。ジェイムス神父が新しい宿舎の建設ばかりに目が行ってしまって、子供たちの教育に目が行っていないと残念がっていましたね。寄付金が子供たちの教育や栄養の問題に十分使われていないとおっしゃるのです。

倉光:それではと、渡辺さんに「10万円を託しますから学用品でも何でも渡辺さんから一番子ども達に必要と思われる学用品などを買って下さい。」とお願いしたのですよ。するとそんな大金は使い切れないと強く断られたので半分の5万円を受け取って貰いました。がその翌日(この日私たちは別行動で高尾先生だけがバニアタールに行かれました。)、そこで渡辺さんは「やっぱり自分にはその役目は無理だ」と全額高尾先生に返されたのですね。

高尾:そうです。私も困ってしまいました。

―渡辺さんが必要と思われるところと、神父様が必要とおもわれる所が違うのですね。
高尾:そうでしょうね。お金のことにしろ、医療の問題にしろ私たち部外者は本当のところ何もできません。解決するのは当事者達でありその国の人々なのですから。結局のところ、「何に使われようとも神父様を信頼して必要とされることに使っていただければよい。」と決断し、バニヤタールの人々のため準備していたお金をジェームス神父様にお渡しして帰りました。神父様は非常に喜ばれてその翌日は私たちの帰国する空港にお礼にお見えになりました。  渡辺さんは、お金を援助することが本当に良いことなのかどうか、お金を与えることで自助努力を妨げてはいないか、何が良いのか分からなくなったと言っておられました。私にはそれが本当に当たっている批判かどうか分かりませんし、それを評価するすべもありません。始め倉光先生は現地を見て、これに幾ら、あれに幾らと指定して寄付する予定でしたが、実際にはそれは難しいことでした。

今回の旅でネパールの国境を越えたインドのスナウリの病院にポカラの会から手術台と手術用の無陰灯が寄贈されていると聴き見に行きました。しかしそれは一回も使われずに埃を被っていました。今回私達がポカラのジッタルタクラブに持っていった胃カメラもどれほど役に立つのか疑問です。

現地を十分に見ずに、また現地の人と一体になって行われない援助活動には限界があると気付かされました。援助者がこれだけのことを援助したのだという自己満足を持つとしたら、それは完全な錯覚であると言えるでしょう。ですから私は、このような活動を通じて、何かが良くなるとは信じられません。ただ一人が背負っている苦痛が、わずかでも軽減することが出来たのであれば、私はそれで満足であると思おうと思います。

とにかくボランティアというものは、つくずく難しいものだという印象を強く持ちました。

−今後もこのような活動をお続けになりますか? 高尾:これからも、機会があればこのような活動を続けて行きたいですし、そのような活動に参加したいと思います。そしてその時は心を込めて働きたいと思っています。

本当に貴重なお話を聞かせてくださいまして有難うございました。先生方のお話を私たちの今後の活動に生かして行きたいと思います。これからもご指導をおねがいいたします。