ラリグランスクラブの秘蔵っ子、スマナ・シュレスタさんが、2003年12月14日。日本語弁論大会に出場し見事入賞しました。
京都ノートルダム女子大学に留学した時からバックアップしていた彼女がここまで日本語で自分の意見を発表できるようになりました。
心から敬意を示し、ますますの成長を楽しみにしています。その時の原稿を寄せて下さいました。




人生の大切な意味を教えてくれた一つのできごと

 人生の中ではたくさんの出来事が起こります。中には忘れてしまうこともあれば、決して忘れられないものもあります。その忘れられない出来事が人間の思い出として残り、その人を生かしている大切なものになるのです。

同じように、私の忘れられない思い出は空にある星のように数え切れないほどたくさんあります。その中でも最も大切で、私の生涯でも決して忘れられないものが一つあります。それは、今私の左耳の手術が無事に成功したことです。

個人的な話かもしれませんが、私の耳が中耳炎になっていて鼓膜に大きな穴があったということは、日本で治療を受けて始めて知りました。これまでの人生の中で、普通の会話が聞き取りにくいということは度々ありました。しかし、住んでいる村では病院がひとつしかない上、医者がほとんどいず、設備が整っていなかったために良い治療を受けることが出来ませんでした。また、高校まで同じ村で育ってきた私を遠くの病院に連れて行く親の暇や関心もなかったと思います。私自身からも親にそういう願いはありませんでした。なぜなら、当時私は耳のことで真剣に悩んだり、勉強に不便だと思ったりしたことはなかったからです。学校の成績はみんなより良いほうでしたし、耳の手術をする必要(ひつよう)がないだろうと自分で勝手に思っていたのです。

しかし、日常生活の中では友達や周囲の人たちから時々聞こえなかったことに対していじめられたり、傷つけられたりしてきたことはとてもつらく、今もその傷は心の中に残っています。その経験からかも知れませんが、私は自分の耳が治ったら自由に生きたい、自分がやりたいと思うことを、障害を感じずに思い切りやりたい、という夢をずっと持ち続けてきました。周りから言われたことを気にせず、勉強を頑張ってきた結果、私は今日本で留学生活をしているわけです。現在日本に来て4年目になります。中には誤解されて苦しい思いや悲しい思いをしたことも度々ありましたが、それも人生の中で必然的に起こるものとして今まで頑張って乗り越えてきました。故郷(こきょう)ネパールから離れて、家族のいないここ日本で耳の手術を成功させることができたのは、周りの人たちの支えと共に、私の自信や、心からの願いが強くあったからに違いありません。今は鳥の声や風の音から全ての音までが聞こえるようになって本当に「聞こえる」ということの意味を実感しています。そして、この喜びを大声で伝えたいぐらいにうれしいです。

何年も持ってきた私のひとつのこの夢をかなえることが出来た結果、人間は小さくても大きくても夢を持つべきだ、そして、その夢を持って前に進むことは本当の人間らしい生き方だということを実感しています。私にとって人生のこのような最も大切なことに気づくことができ、これからの人生をいかに生きるべきか、ということを教えてくれたこの出来事が、今の私の宝物であり、私の忘れられない一つの大事な思い出です。

何年も持ってきた私のひとつのこの夢をかなえることが出来た結果、人間は小さくても大きくても夢を持つべきだ、そして、その夢を持って前に進むことは本当の人間らしい生き方だということを実感しています。私にとって人生のこのような最も大切なことに気づくことができ、これからの人生をいかに生きるべきか、ということを教えてくれたこの出来事が、今の私の宝物であり、私の忘れられない一つの大事な思い出です。
ご静聴ありがとうございました。

               シュレスタ・スマナ

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