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バニヤタール村とチプリン村への支援物資

私達の一方的な考えで支援物資を準備してもいけないと思い、事前に日本からJ神父へ何が必要とされているのかを伺いました。
答えは、薬を筆頭に、生徒達のためにペン、鉛筆、靴、ベスト、レインコート、スクールバッグ、算数セット、計算機、コピー、ノート。お母さん達にはさみ、チャコペン、めがねフレーム等を所望されました。
ネパールで買える物ばかりですが、中古のものがあればとノートルダム小学校のボランティアサークルに協力をお願いしました。鉛筆とノートは日本の物が品質が良いからと日本で買いましたが、ノートは重くて買ったノートは持っていけませんでした。
薬は、いつも協力してもらっている高尾医師に抗生剤と目薬と皮膚病軟膏を用意していただきあとは現地調達にしました。

終わっての結論は苦労して荷物を運びましたが原則として「全ての支援物資は現地調達がベストということです。

例えばコピーというのは学校の授業で使う表紙には絵が描いてあるような安価なノートのことでした。ノートというのは大学生達が論文などで使うノートです。今回幸か不幸か重くて持っていけなかったのですが、あんなノートを子供達にあげても学校で浮いてしまったでしょう。文房具やさんでネパールの子供達が日常に使うノートを買いました。
鉛筆も質の良い消しゴム付のが良いと思って日本で買って持って行きましたが、公立の貧しい学校では消しゴム付鉛筆は日本からの貢物とすぐ分かってしまいます。誰でもが持っている鉛筆の方が良かったのではないかと思いました。
又、ベストというのは、皆がよく着ている毛糸のチョッキと思っていたらランニングシャツ(肌着)のことでした。チョッキは集まらなかったので持っていきませんでしたが良かったです。ランニングシャツとパンツをいっぱい買いました。
そういえば、去年、寝るときのマットが必要というのでベッドに使うマットレスをイメージしていたら敷布団のことでした。

今回せっかく持っていきましたが、これじゃないのに、、、。というものも多々あったと思います。

日本の物も上げたいと思い、日本のキャンディを5粒ぐらいずつ、セロファンに袋詰めしたものを600袋程前もって作って用意しました。交流会に来てくれた人々に一人一人手渡しました。手渡してあげるのには、こういう物が一番良いと思いました。

バニヤタアールは近くに店もあるしお金さえあれば何とか調達出来るようですがチプリン村の事情は困難を極めているようです。何しろカトマンズまで出るのに5日かかり、道中はマオイストが潜む危険な所で大変です。今後の支援のありかたも考えたいと思いました。

現地での買い物は時間が掛かって大変です。お金だけ渡して必要な時に買ってもらったら良いという気持ちになりますがそれも問題です。というのは、J神父はいつも忙しくゆっくっり買い物に行く時間がありません。結局せっぱつまってからつまらないものを買ってしまったり、そこらのもので間に合わせたりしてしまいます。ですから、やはり私達がネパールに行ったとき一緒に行って一緒に考えながら買うということが大変重要なことと思いました。



例えばお薬を買ったときのこと、、、

抗生剤と目薬と化膿止め軟膏については、高尾先生から頂きましたので「お金はあります。他に必要なものを全部買いましょう」とJ神父と二人で薬局に繰り出しました。
薬問屋街のようになった賑やかなところの一軒が選ばれました。
沢山ある薬局の中でも一際目立って「ボロ」の風情。でも、薬剤師免許を持った風の男性が4〜5人はいて棚から梯子で取り出し埃を拭いて手渡す係りの少年2名ぐらいいたので「しにせ」なのかもしれません。
さて、J神父はどんどんお薬を出させるのですが少し不審。私なんか例えば頭痛薬というと「セデス」「バッファリン」「ノーシン」「イブ」などなど胃薬なら「きゃべじん」「太田胃散」「大正漢方胃腸薬」とか風邪薬なら「パブロン」「コルゲンコーワ」「コンタック」。下痢なら「ビオフェルミン」「正露丸」。便秘なら「コーラック」。ビタミン剤なら「チョコラBB」「ポポンS」。疲労回復には「アリナミン」。などすらすら出てくるのに、頭抑えたり胃をおさえたり手振り身振り交えてああでもないこうでもないと薬の箱を出したり引っ込めたり大変でした。
訳の分からぬ私は箱を裏返しラベルを眺めて賞味期限じゃない有効期限というのでしょうか、そこを調べて03.12.とかいうのを見つけると口を出し、また引っ込めさせたりするのでした。
ビタミン剤がなくて、神父様は「ビタミンみかんジュース粉末」のような大瓶4個買ったりして大変。でもビタミン剤よりこの方が使われやすいかもと納得したり。

1時間はかかったと思う。カウンターからこぼれ落ちるぐらいになって途中お金が心配になりJ神父に「お金が心配」と耳打ち。
「一体いくらあるの?」と聞かれ「4万ルピー」と囁く。神父はやおら「これでいくらになるか?」と店の人に計算させると「1万3千何がし」という訳で又棚からあれこれと、、。
けれどもうそれ以上思いつかないようになったようで「ゴム手袋」や「幅広バンドエード」のようなものが加わって、、、。
とにかく大変だったけれど面白かったです。
Fr.Jamesは薬をあまり使わないし分からないのではないかしら?とも思いました。
バニヤタールに常住の医者とまでは望まないけれど常住の保険婦のような人が必要と思いました。
 
私達は車に弱い人には前もってトラベルミンなどを飲ませたりしますよね。Mがジョムソンへの飛行機が揺れて酔ったのですがJ神父は「大丈夫か?タオルを水で濡らし頭にのせなさい。そうしたらよくなります」とおっしゃって私達は「そんなので治れば苦労しないわ!」と笑ってしまいました。出迎えに来たガイドさんに「一人飛行機に酔ったので、、、。」というとやっぱり「タオルを水で濡らして頭に、、、。」というのです。それが常識らしい。

私らの身体はダメになっているんだなあと、つくづく思わされました。

                         
    
日本から持っていったもの 鉛筆・靴・レインコート・スクールバッグ・計算機・ノート・大人用ハサミ・チャコペン・薬・メガネ・眼鏡フレーム・鉛筆ホルダー・Tシャツ
現地で買ったもの 万年筆・子供肌着・シーツ・算数セット・授業用ノート・大鍋・絵本・ペン・スプーン・ボール(鉢)・薬・浄水器  合計 約 8万5千円
寄贈したお金 ラリグランス保育園・11万円  チプリン保育園・3万円  L.S.H食費補助・5万円  モンテッソリー研修費・3万円 建築費8万円・J神父活動費・5万円  編物経費・3万2千円  合計。38万2千円
バザー用グッズ購入 ビーズネックレス・木の玩具・ショルダーバッグ・カモシカポーチ・バッグ・手漉き紙クラフト・パシュミナショール・ 合計 約7万円

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