ネパールスタディツアー日誌 

梶田雅子 記  

五十嵐園子 撮影


      参加者  H:川勝宏子 K:浦本景子 M:梶田雅子 S:五十嵐園子 Y:久堀洋子

3月3日(水)
21時30分。関空タイ航空カウンター前にH.K.M.S.Y.5名全員集合。スーツケースなど、スムースにチェックイン。

4日(木)
0時55分に搭乗。1時10分離陸開始。バンコクを経て12時30分。定刻にカトマンズ到着。


トリプヴァン空港にJ神父、モティさん、スマニ君が迎えに来てくれている。タクシー1台とモティさんの車で宿舎になるSt.サビエル修道院へ。
食堂でこれからのプランを話し合う。

午後5時半、2月28日83歳でなくなったワットリン神父さんのお墓へスマニ君が案内。「被昇天教会」の庭の共同墓地だったが、まだお墓はできていなかった。 教会まで行く道は汚れたガタガタの裏通りで少々不気味だった。今日もバンダ(ゼネスト)で乗合バスが動かず広い道路をみんな歩いている。民族衣装の女性が、長い裾とスカーフをひるがえしてほこりだらけの道をあるいていた。

午後7時夕食。しょうがと豆のスープ。鶏のカレー風味ソテー、ジャガイモとナスのフライ、カリフラワーなど、質素だがおいしかった。夕食後J神父に運んできた支援物資を渡す。たくさんの物資に喜んでおられた。9時就寝。

5日(金)
6時半ミサ。年輩のアメリカ人司祭のミサ。敷物の上に座してのミサ。神父さんもスカーフ(四旬節の紫だが)したり帽子かぶって。仏教のお坊さん風の人も。あと、シスターふたり。S,H,K.Mの4人参加。

7時、朝食。食後、10時早速バニヤタールへ出発。きれいなマイクロバスで途中水など買う。
最初にND保育所(LaliGras Day Care Center)を見学。3部屋に子どもたちが。去年までと場所が変わったらしく、これでも良くなったのだと。初めて訪問する4人は暗く質素な部屋に少しカルチャーショックを受けた。

次に少女たちの寮(Loyola Student Home)へ。シスター(Sisters Charity Banbina Sisters)たちが面倒を見ておられる。清潔にしていて、子どもたちもお利口そうで明るい。
モティさんの奥さんサンタさん指導の編物教室の様子を見せてもらう。
少年たちの寮へ。狭い部屋に二段ベッドがあり、そこでみんな勉強している。少年たちは、はにかみながらも顔の前で手を合わせて「ナマステ」とあいさつする。その姿がなんとも言えずかわいい。片言の英語でしゃべって、写真を撮ったりする。

昼過ぎ、少女の寮の上(シスターの修道院)で昼食。カレーライスがとてもおいしい。シスターが修道院の説明。日本には愛知県と富山県に支部あって、学校を経営しているとのこと。

マイクロバスでSt.サビエルに戻る途中、保育園長のプラバさんと本屋へ。子どもたちの絵本を買う。本の質は悪く内容もそんなに面白そうでない絵本だ。日本の絵本だったらどんなにいいかと思う。それから、大なべも買う。台所用品の卸や街のようなところで面白かった。(アサン地区)
ジャマル地区のほうでネパール女性が着ている民族衣装「クルタ・スルワル」を作ってもらう事にする。プラバさんとサンタさんが助言者となり、みんな生地などを選ぶ。ショール付きオーダーで1170Rs.

5時宿舎に戻る。久々シャワーシャンプーする。ドライヤーも使えた。夕食はなく、近くのレストランで。私たち5人でこわごわ探す。チベット料理の「モモ」(餃子とシュウマイをまぜたような)チョーメン(やきそば)スープなど。ビールも。美味。食事が終わる頃F.Jが12軒目に見つかったと来られる。
宿舎に帰って、S,H,K4人でサンタさんがもってきた「えりまき」のチェック

6日(土)
今日は「ホーリー」という日で(大体この国は土曜日が休み)色水をビニール袋や風船に入れて行き交う人に投げつける日だそうだ。昨日は色をつけずに透明の水を入れてなげるのを時々見かけた。新聞の見出しには「国が悲しんでいるのに何故、こんな事をしているの?」とあるとモティさん。そして、昨日中央のタメル地区で爆発事件があったとのこと。
8時半マイクロバスでバニヤタールへ出発。途中近道をするためか(?)川原の道に出て、川の浅瀬も走るが途中で進めなくなりもとの道にもどる。30分遅れてバニヤタールの教会に到着。10時からミサ。


これは何でしょう?」割り箸を見せているところ達磨さん落しに挑戦する婦人。

バラック建てのような粗末な聖堂。J神父の長いミサにもかかわらず、200人あまりいると思われる子どもや親たち静かにしていて感心した。ミサ後、祭壇を片付けて、そこで私たちを歓迎する歌やダンスをしてくれる。私たちは折り紙をして見せたり、「これはなにでしょう?」ゲーム。最後にだるま落としでもりあがった。

昼食は女子寮で、シスターたちが準備してくれる。3時、St.サビエルに帰る。

5時、毎年取引をしているパシュミナショール屋さんの人が迎えにくる。歩いて20分くらいの道を行く。そこは大きな家で応接間に通されお茶やスナックの接待をうける。(Bhel Chatpata, Kheer)とてもエキゾチックな味でおいしかった。バザー用に100%パシュミナショールと70%パシュミナ30%シルクのマフラーをオーダーする。

7時、St.サビエルに帰り夕食。J神父はまだ帰らない。明日はポカラに移動のため早いので、各々部屋で準備する。

7日(日)
5時半出発。私たち5人とJ神父、モティさんの総勢7人と運転手さん。

朝食抜きだったので、早めの昼食。ホリディハウスで。マナカマへのロープウエイ。ムグリンなどを通る。みかんを買う。1キロ70Rs。一個10円くらい。今日はネパール暦で11月24日。何度か「検問所」を通る。警察か軍隊の人がライフルを抱えて怖い顔をしているのでなにか恐ろしい気がする。別に何事もなく通り過ぎることができる。

バンディプールのノートルダムへの上り道で車がオーバーヒートしたので、山道を少し歩く。NDスクールに11時半到着。途中、ND留学生のスマナさんの家の前を通る。お母さんが出てきて、中に入ってくれと言われるが時間がないのでそのまま行く。

NDにはシスターが3人。Sr.今井、Sr.金谷、とアメリカ人シスター。昼食を頂き、校舎や庭などを案内してもらう。もう生徒たちはいなかったが数人に出会った。小さくても英語をしゃべり、先生たちもきちんとしていた。教室も質素だが清潔な感じを受けた。3時40分出発。

長いドライブで5時半ポカラの町からちょっとはずれている「ホテル・フェワ・プリンス」に到着。メールでも交渉していたオーナーの大森さんに会う。他にも日本語を話せる人がいて、日本人には安心なホテル。S,Y,M一部屋。K,H一部屋。J神父、モティさん一部屋。

夕食前にシャワー。他の人は共同大浴場(これがあるのだ!)へ。

8時夕食。大森さん、神戸山岳会の宮松さんに話を聞くがたいした参考にはならなかった。霧がかかっていて今日は山々が見渡せない。

8日(月)  ポカラ滞在組み・・・・・・・HとK の 記録
      ジョムソン組の無事を祈り、5時半にロビーでM・S・Yを見送る。あいにく今日はバンダで交通機関はストップ。土産屋さんも開いていないらしくサイクリングでポカラの街を散策することにする。ペワ湖まで往復8kmである。
普段は車が多く危なくて自転車に乗ることは出来ないのでラッキーなことと言われる。自転車は中国製でとても重たく重労働だった。
でも途中街中の雑踏や300年前の建物が立ち並ぶオールドバザールの細やかな細工の古い家を見たりして楽しくペワ湖畔にたどり着いた。湖畔の素敵なレストランでランチをとりショッピングも楽しんで帰路についた。
夜思いがけず日本から取材に来ていた林マヤさんのテレビ番組に出演した。
長年ネパールと日本の親善のために苦労し数年前にヒマラヤ山岳博物館設立された安藤さんの館長離任パーティがホテルで行われ参加した。
めったに出来ない、いい体験をした。
9日 (火)  
      朝部屋のカーテンを開けるとマチャプチャレを中心にヒマラヤの山々が朝日に映えて美しく聳え立っていた。姿を見せてくれたのは9日ぶりとのこと。ラッキーだった。今日はホテルの車でポカラ観光である。大口お客様のキャンセルで時間ができたからと社長の大森さんと長期滞在者の野村さんも加わってまず日本の仏舎利塔のある小高い丘に登った。昨日に続きハードだったが湖の上にヒマラヤの山々がみえて素晴らしかった。下山して湖を船で渡りランチ。その後デビットフォールとチベタン難民センターに行く。地元のスーパーにも寄ったがあまりの値段の安さに驚く。
        この2日間、ずっとモティさんが一緒だったので力強く助かった。自然の美しさに感動し楽しい日々だった。

8日 (月)   ジョムソン組・・・・・・・・・M・S・Y・Fr.J の 記録
5時、モーニングコール。ホテルの便で空港へ。

7時の飛行機でジョムソンへ。約20分。KRISHU GUEST HOUSE に。二階ベランダで、J神父のミサ。快晴でニルギリ(7061m)の見渡せるすばらしい景色の中でのミサ。そのちゃんのお兄さんのためのミサ。

9時半、カグベニにむけて歩き始める。荷物はポーターに持ってもらう。KRISHU GUEST HOUSEのオーナーのクリシュナさんがガイドとして一緒にいってくれる。
入山証を見せていよいよトレッキング。

                  

山と山の間の石ころだらけの広いカリ・ガンダキ川床を歩く。出会う人は少なく、時々馬の隊列やロバなどに出会う。遠くの山の向こうに白く雪に覆われた山、トロン(5416m)、ニルギリ(7061m)やダウダギリ(8167m)などが、歩くたびに、見えつ、隠れつする。ニルギリの峰が陽を受けて鏡のように輝く。ニルギリ1−4を背にしながら石ころの多い川床をずっと歩く。そのたびに歩をとめて見とれたり、カメラを構えたり。そのうち、きれいな石を拾い始める。そのうちアンモナイトが見つかる。クリシュナさんが一番良く見つける。みな、夢中になる。11時半、中休み。(その前に自然の要求にこたえたり・・・)





1時すぎ、途中の宿場エクリバッティで軽く昼食。午後になって風が出てきた。もう飛ばされそうな風だ。でも追い風だから背中を押される感じ。3時半カグベニ到着。“

Mustang Gate Way”に入る。若い(30代か)夫婦がやっている宿。レストランとコンビニもある。S,M一部屋。Y一人部屋。J神父一人部屋。

近くにあるチベット密教の寺院の見学に行く。古い建築だが、全部木造のようだ。窓から外を見ると、万国旗のように、さまざまな色のタルチョがひらめいていた。チベット文化圏の中にいることを実感出来た。

掛け布団ももらって暖かく休めた。

9日(火)
早朝、寺院から祈りのラッパの音が聞こえてきた。まだ暗かったが、Yさんが日の出がきれいだと誘いに来たので外へ。山の見えるところまで村の中を歩いていく。ニルギリの峰が朝日を受けて輝いていた。

朝食後、早く出発しないと風がでるという、クリシュナさんの助言に従って、8時45分に出発。昨日来た同じ道を戻るわけだ。川原に入ってすぐ、長身のリュックを背負った男性が向こうから来て、クリシュナさんが挨拶している。聞いてみると「ポストマン」だという。へー、歩いて配達しているんだ。なぜ、馬を使わないのかなあ。ここでは郵便といってもそんなに急がなくてもいいのかもしれない。一日一度、ジョムソンとカグベニを往復するという。J神父や、クリシュナさんにネパール語を習いながら歩く。また、アンモナイト探しをする。この行程はクリシュナさんなら1時間で歩くところなのに、私たちがアンモナイト探しをしながら、景色を楽し
ながら歩くと、5時間近くもかかる。
10時ごろ、つり橋のところにくる。
昨日はひどいに吹かれて、怖かったが、今日は静かでみんな写真を取り合う余裕も。

しばらく歩くと、一人の日本人らしき男性がポーターをひとり連れて歩いてきた。にっこりと挨拶。やさしそうな人だ。またしばらく行くと今度は一人の女性がポーターを連れてやってくる。彼女によると先に行った男性は「関野吉晴」さんという写真家で、いっしょに旅していると。高度順応トレーニングのためムクティナートまで行くとのこと。Yは関野さんのファンで興奮気味.

この行程で一番しい砂の坂道でインドからの巡礼団に出会う。お年よりも多く、馬に乗って来たのだが、その個所は馬も大変なので馬から下りている風であった。

もともとこの道はそういう道なのだろう。

トロンが見える。風が強くなってきた。ジョムソンが見え始めたところからダウダギリが見えてきた。1時過ぎジョムソン着。2時昼食。4時ごろから近くにあるミュージアムへ。ムスタン王国についての展示などがあったが、すべて古くなっていた。ハーバルメディシンの展示などは面白かった。


6時半、食堂の丸テーブルでミサ。7時半、夕食。モモ、カレー、チャパティ。夕食後お茶であられ、干しりんごなど。

10日(水)
5時に目覚め5時半Yと散歩に。月が出て薄暗く星も見える。暗いうちから何人かの女性があの箒で掃除している。みな働き者だ。6時15分ホテルに帰りミルクティ。
7時10分空港へは歩いてすぐ。


8時半定刻に離陸。空港にフェワ・プリンスの車が迎えに。10時ホテルで朝食。シスター川岡が来ておられて1年ぶりにSと話が弾む。

3日ぶりに
K,H,とモティさんに会う。みなご機嫌。ポカラステイ組も良かったようだ。

10時45分シスター川岡のジョディ・ケンドラへ。ここは保育所でモンテッソリーをしている。さすが、とても清潔で感心した。

次に、大木神父さんのシシュビカス・ケンドラへ。ここは障害児おもに知恵遅れ児の通園施設である。50Rsの月謝と給食費をとっている。払えない人とは交渉するとのこと。
ポカラの町に出て昼食。
J神父は他の修道院へ。H.K.モティ3人は安藤先生と約束したからとポカラ山岳博物館へ。Y.S.Mはペワ湖畔で休憩とショッピング。バザー用品を買い込む。Tシャツに刺繍を入れて550Rs.JOMSON TRK.Mar. 2004」と。日本に電話。1分100Rs.

サンダル買う。小さいサイズがなくYと大探ししてやっと見つかる。値切って700Rs.ホテルでやっとお風呂。生き返った!買ったばかりのTシャツ少々匂うが着る。夕食後5人でお金の計算。

11日(木)
5時半、モーニングコール。6時集合。6時半カトマンズにむけ出発。途中でImili というどろっとしたドライフルーツ状のものをモティさん買ってくれて食べる。甘酸っぱい。梅干のような味。

今日は明日のバンダ(ゼネスト)を控えているせいか交通量が少なく、交通チェックが多い。昼食は魚料理。小魚のフライをカレー状のスープで煮てご飯にかけるというもの。なかなか美味しかった。そこに12歳くらいのとても汚い服を着てはだしの少年が働かされていた。もちろん学校には行っていない。雇い主は彼の年齢も知らないらしい。魚料理全部とビールなど飲み物で1255Rs

カトマンズへの国道で、一台のトラックが積荷のまま真っ黒焦げになっていた。どうしたのだろう。J神父によると、テロだという。こういう田舎のほうにはまだまだテロが多いらしい。それを聞いて早くカトマンズに着きたいと思った。道端にバナナ屋が。母親と3人の子ども(?)あたりにはバナナの木がいっぱい。10pにも満たない小さいバナナがいっぱい(約70本)ついたのが150Rsだった。これが甘くて非常においしい。
カトマンズに近づくにつれて、車両が増え検問も厳しくなる。2時半、
St.サビエルに到着。

神父と荷物をST.Xに降ろして、BHAKTAPURへの観光。カトマンズから東へ15キロ。世界遺産にもなっているという。15−18世紀マッラ王朝の首都のひとつとして栄えたところ。10ドルの入場料をとられたがなるほどと思うほど当時の世界をとどめている。レンガを敷きつめた道、石畳の道など。両側にはみやげ物屋が並ぶがその古い建物が学校として今でも使われていて市役所もその「古都」の中にある。学校の制服を着た子どもたちが下校する姿やサリーをひるがえして買い物する婦人たちもたくさんいて「生きている古都」という感じ。
古い建物の喫茶店(
Cafe Nyatapola)にはいり(3階)ズズダヒ(王様のヨーグルト)を食べた。素焼きの大きないっぱいに冷えたヨーグルト。それを取り分けてたべる。おいしかった。


広場ではストリート劇で政府の不正を訴えていた。

St.サビエルに帰って夕食。

12日(金)
昨夜からSは鼻のど風邪。モティさん宅でサンタさんと編物の相談をする予定を急遽変更。サンタさんにここSt.サビエルに来てもらう事に。

モティ、サンタ10時ごろ来る。Sとサンタさんを置いて11時Y.K.H.Mとモティさんは歩いてパタンへ。ダルバール広場。クリィシュナ寺院を見る。旧王宮の博物館へ。250Rs.歩いてゴールデンテンプルへ。25Rs.仏教徒がたくさん祈りに来ていた。革製品を身につけている人は中庭には入れない。

次にクンベシュワール寺院へ。拝観料がないせいか境内はひどくよごれている。犬や羊が寝そべっていて、子どもたちが遊び、人々が拝みに来ている。途中の道で77歳のお祝いセレモニーをしている家を通る。レストランでネワール料理。これはすごくホットで、みんなヒーヒー。半分ほどしか食べられなかった。(バラ、チャタマリ、ネワリセット)

バス(プライベートのマイクロバス)に乗ってパシュパティナートへ。250Rs.の入場料を払わなくていいようにもティさんは裏のほうへ連れて行ってくれた。川のほとりで、そこからちょっと離れたところで薪の上に遺体が置かれて焼かれていた。私たちには衝撃的な風景だが、その側を少年たちがふざけあいながらとおり、人々(男性がほとんど)がたくさん立ち話などしている。まったく「普段」の風景。

また、小さなバスでタメルへ。先週注文していた服(クルタ・スルワル)を受け取った。ホットミルクティで一休み。また、小さなバスでSt.サビエルへ。6時半。ところが残ってサンタさんと仕事の話をしていたSたちが今夜の夕食はモティさん宅でと決めていたので、それから皆でモティさん宅へ。バスを2つ乗り継いで、15分歩いてモティさん宅へ。2年前に建築された3階建てのすばらしい家。1階は他人に貸しているとか。ちょうどモティさんのお兄さんや友人、親戚の方が来ておられ、モティはお兄さんの足に口付けして挨拶。Wさんも来ていた。お野菜いっぱいのお料理で、主菜の前におなかがいっぱいに。ヨーグルト、ライスプディングなども。バニヤタールから帰る途中のJ神父も加わる。11時すぎ、St.サビエルに。シャワーして12時半就寝。

13日(土)8時半、5人ともパンジャミスーツに身を固め(!)先週も行った被昇天教会へ。J神父がタクシーで送ってくださる。ネパール的な面白いミサだった。帰りは道をたずねながら歩いて帰る。モティさん息子のアキ君つれて迎えに。テンプ(三輪乗合)で家に。アキくん膝の上。降りてからも手をつないで。人懐っこい子だ。モティさん宅でもう一度、食事をご馳走に。ミルクティの入れ方も教えてもらう。3時過ぎモティさんと皆テンプに乗ってタメルへ。主にバザー用品の買い物。アサンでは岩塩とタイムを買う。10歳の少女が天秤秤で売っていた。Imiliという果物の紙状にしたお菓子を買う。5時半、疲れてお茶とバナナケーキを半分ずつ。美味しかった。やっとJ神父が来るというので待合個所へ。シーツ、下着、文房具など、どっさり買う。バニヤタールの子どもたちのため。
タクシーで
St.サビエルへ8時。夕食。J神父の話では、チプリンから寮の女の子を訪ねて来た8人の人がマオイストに襲撃され追われて逃げてきたとのこと。怖い事だ。

4日(日)
9時出発。
S以外の4人とモティさん。今日は2台モティさんの車で。まず、スワヤンブナートへ。ストゥーパに大きな仏陀の目がかかれている。小高い岡の上にあり、見晴らしがいい。チベッタンの巡礼一家の写真を撮らせてもらう。タメル地区のダルバール広場へ。

1本の樹で作ったといわれている(?)カスタマンタブ寺院。シヴァ・パールヴァティ寺院、アショク・ビナヤク、クマリの館などを見て、インドラチョークにいき、バザー用としてビーズネックレスを買う。

お茶専門店でミルクティようのお茶をお土産用に。そのほか、上質のお茶も。金のピアスも。昼食にモモ、ピザ、ビールなど。

3時、ボダナートへ。ここはチベット仏教の巡礼地であり、ネパール最大のストゥーパが建ち、その周りを皆、時計回りにお経をとなえたり、マニ車を回しながら歩いている。赤い布をまとった僧侶、少年僧侶なども。お茶するために入った店はチベット人で、まるで日本人の女のこのようだった。

5時半、St.サビエルに。J神父がまだバニヤタールからもどらないので、薬を買いに行くはずのSがまだ待っていた。J神父とは薬屋の近くで待ち合わせする事にして、モティさんの車で行く。Y,Mはモティさんとパタンへもう一度木のパズルの追加を買いに。今度は前に店番をしていた女の子とその妹がいて、その子がとても利発でびっくり。

もどって夕食。ラザニア。おいしかった。

SはJ神父と薬屋へ。帰ったのは9時を過ぎていた。11時就寝。


15日(月)
いよいよ帰国の朝。ミサ。朝食。J神父も。8時、注文していたパシュミナスカーフが来る。グラデーションの青とピンクを買う。モティさんも来てくれてみんなにそれぞれ紅茶と菜の花の実のプレゼント。出発まで時間があるので、S,Y,M4人でW氏とJ神父の件についてはなし意見統一を確認。J神父も加わり、食堂でお茶を飲んで10時半、マイクロバスで出発。11時、空港でJ神父とそれぞれが握手してお別れ。午後2時定刻過ぎ離陸。現地時間午後6時半、タイ・バンコク到着。

16日(火)朝7時、関空着。

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