ネパール事情

ネパールって治安が悪いって聞いているけれどどうなってるの?

ネパールの現状について、分かりやすく説明された記事が、信濃毎日新聞(2004.5.9)に載りましたのでそれを参考にしながら説明してみます。

*ネパール国は古代から基本的に地方豪族又は国王による専制国家である。
*1960年にマヘンドラ国王が全権を握る。国王親政を敷く。
*1972年に息子のビレンドラが即位。体制を引き継ぐ。
*1990年4月。クーデターが起こり国王は議会制民主主義の実現を約束。
*1991年5月。G.P.コイララが首相になり民主制樹立。王は治政から退く。治安が落ち着き一見平和が保たれる。
*しかし国民の生活は貧しく、政党派閥闘争も起こり共産党系反政府組織マオイストの活動が激化。

(*2001年4月。ラリグランスクラブ設立。)

*2001年6月。国民に信頼されていたビレンドラ国王一族が、皇太子(自殺)に殺害され、難を逃れた弟ギャネンドラが王座に着く。現王には「事件の陰の首謀者」という疑惑が常につきまとう。

(*2001年7月。マオイストからの強制によりバンディプール・ノートルダムスクール閉鎖。シスター達日本に撤退。)
(*2002年。現地スタッフでノートルダムスクール再開。)

*2002年5月。国王は議会を解散し国王親政を復活させた。
*国民の間には国王親政の復活で、マオイスト問題の打開や汚職の絶えない政府の浄化などが進むことへの期待もあったが、事態は進展しないばかりか、王宮費の増額や高級車を購入するなど、アジアの最貧国の一つで低所得に苦しむ国民感情を逆なでしている。

(*2003年。ノートルダムシスター達再渡ネ。)

*2004年に入って、強権により政治の実権を握ったギャネンドラ国王に対し、ネパール会議派など有力政党が連日抗議デモを繰り広げるようになった。
*5月4日。ネパールの首都カトマンズで、大がかりな民主化要求の集会が行われコイララ元首相が演説をした。
*共産党派マオイストはこれに乗っかり共闘を呼びかけているが政党は拒否している。

ざっとまとめましたが、ネパールでは、王制主要政党共産系マオイストが三つ巴になって混乱している状況がお分かりいただけたでしょうか?
(写真は、駆け足で宿舎に戻ってきた兵士達。ジョムソンにて。)

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