ブータン紀行       

久掘洋子 記

     〜ブータンの第一印象〜


.初めて訪れるブータン。私たちの期待を乗せてブータン唯一のパロ空港に到着した。
緑豊かな山に囲まれた小さな空港である。空港の建物は伝統様式で建てられている。埃と喧騒が渦巻くカトマンズとは全く違う静謐さ。
 その建物から出てきたスタッフの男性は伝統的な服「ゴ」を着ている。日本のどてらのような服の裾を膝までたくし上げて帯で止め、ハイソックスと革靴を履いている。
 女性スタッフは「キラ」と呼ばれる服で、足首まである布を身に巻き付け、腰に帯を締め,肩をコマと呼ばれる銀製のブローチで止めている。その上に短い上着を着ているが、その織物の柄が何ともいえず落ち着いた色合いで素晴らしい。お化粧をしていない素顔が、とても新鮮である。
男性も女性も顔は日本人にそっくりである。旅のうたい文句に「日本人の郷愁をそそるブータン!」とあるが、本当にそうなのだろうか?期待で胸が高まるのは気圧(標高2300m)のせいだけではない。

    〜パロからティンプーの風景〜

 迎えにきていたシデブータン旅行社のバンで首都ティンプーに向かった。
窓から見える景色は、一本の川パロ・チュの両側に、田んぼや畑がひろがっている。畑に点々と堆肥が盛ってあるのが水玉模様のように見えて可愛い。
豊かに広がる棚田の斜面にぽつんぽつんと農家がある。農家は3階建、白い壁に花頭窓が4列、上下3段ほど並んでいて、窓枠が焦げ茶色に塗られているのがとてもシックである。屋根は切り妻か寄せ棟式で大抵吹き飛ばされないように重石が沢山乗せてある。行きかう人々、農作業をする人々全てが民族衣装を身に纏っている。 
本当に静かでのんびりとして心いやされる感じがする。
ちょうど田植えの季節らしく人々が並んで田植えをしている。パロは山岳部の多いブータンの中でも米どころ。この田植えの指導をした人が日本人西岡京治氏である。彼は1964年から28年間にわたって、ブータン農業の近代化に貢献し、国王からダショーの爵位を授けられた唯一の外国人である。

     〜ブータンの仏教〜

首都ティンプーの観光は、メモリアル・チョルテンからはじまる。
1972年になくなった3代国王が生前発願していた物を国家事業として受け継ぎ完成させたもの。ブータンはチベット仏教の国であるが、日本仏教とはあまりにもかけ離れている。このチョルテン(仏塔)は巨大なもので建物の上に白い大きなカップをのせその上に黄金の幡がつき出ていて、日本の塔とは大違い。内部の立体曼荼羅も巨大でカラフル、豪華絢爛である。庭にはマニ車が埋め込まれた壁が続き、それを回しながら、右回りに進む。巡礼に来た人たちは、「オーム・マニ・ペーメ・フーム」といいながら回っている。ブータンの五体投地はチベットと違い、手のひらをあわせて頭上、額、口、胸を押さえて土下座して額を床に着けて立ち上がる。お参りに来ていた家族の中の幼児がとても上手に自然に五体投地をしていて一同びっくりさせられた。

 ドウプトプ尼僧院に行ったときは巡礼にきていた100人以上の人たちが、一斉に昼食中だった。スープのような物にツンパをつけて黙々と食べている様は圧巻だった。どんなに遠いところからきているのだろうか。

 チャンガンカ・ラカン寺院に行ったときは、お堂の中で年配のお坊さんたちから子どもの小坊主さんまで一心不乱になってお経を唱えていた。
その経本は綴じられた物ではなく、細長い紙に刷られた物が分厚く重ねられた一抱えもある経典である。

 仏教の戒律が日常の生活にも行き渡り、殺生戒、つまり生き物をむやみに殺さない、のである。「もし、殺したはえは死んだおじいちゃんだったら」と考えるのだそうである。そんなわけで、野犬が多い。どこでも我が物顔で寝たり、闊歩したりしている。夜は,野犬に襲われる恐怖の方が多いとガイドさんはいっていた。 

ブータンにお墓はない。死んだら火葬にして川に流す。そして、ダルシンと呼ばれる長い旗を108本たてるのだそうだ。時々そのダルシンが風になびいている所に出あう。墓石よりずっと風情がある。チェレラ峠で出会った何百本のダルシンは、それらを伝って魂が自然に天に帰って行くような気持ちにさせられた。
 
幸福を願う五色の小さな旗は、タルチョといい、これも風にひるがえる様は素敵である。風にのってお経が伝播していくのも実感できた。

      


〜ゾン[城]〜
ブータンの建築を代表するのはゾン〔城〕である。ブータンの主要な谷には必ずゾンがあり、昔は戦略用の砦兼国府ような物であったが今も県庁と寺院として使われている。回廊式の建物四辺形の外壁を構成し、その中に何棟かの建物や塔がある。白壁に茶系の屋根や窓枠、金色の塔とぜんたいにすっきりした印象であるが、細部には色々と細工装飾が施されているのである。国王のオフィスとブータン仏教の総本山であるティンプーのタシチョ・ゾンは壮麗、荘厳という言葉がぴったりする。近くの丘の上からこの建物を見下ろすのは素晴らしい。




     〜ブータン映画「エスケープ」〜

「今日は久しぶりにブータン映画が封切られます。いつもはインド映画ばかりなのですが」とブータン唯一の映画館の前で、ガイドさんが教えてくれた。園子さんが「ぜひみましょう」というのだが、「ゾンカ語でわかるかな?」と私。ガイドさんが「私が英語で教えます」「そんなことしたら、まわりから怒られるのでは?」「大丈夫ですよ」私たちは解せないまま、前売り券を買う。全席指定席。60ヌルタム、約160円。入り口に主演俳優がいて、とてもハンサムで気さく、握手をしてもらい、夜はサイン入りのポスターをもらう約束をする。

 ブータン映画「エスケープ」が始まった。
義勇軍をエスケープした主人公をその母が泣いて諭し、そこから主人公の先祖の歴史がひもとかれる。
圧政に抵抗し役人を殺した先祖は、追っ手をくらますために険しい山道を村人とともにこれまたエスケープする。
観客はというと、ケイタイはなり、それに大声で返事をする、おしゃべりぺちゃくちゃ、お菓子ぼりぼり。
追っ手が迫ると怒号!先祖の足に矢が刺さり、必死で娘が抜くところでは悲鳴!恋愛場面では、ひゅーひゅーと口笛。
ガイドさんが「大丈夫」と言った事に納得。エキストラは近所の人や友達もいるらしく、その人たちに声援を送ったり冷やかしたりしてもしているようだ。映画というより劇を見ているような喧噪!

 私たちは2階席の2列目。1列目にはこの映画の監督兼俳優がいて、またまた握手をしてもらう。約束のポスターをもらう時、園子さんが「日本でも上映されるといいですね。・・・」と日本語でドンドン話し続けるので彼は目をパチクリ。「あっ。ブータン人だったんだ。日本人とまちがえてた。」一同大笑い。

      〜ブータンの結婚事情〜

 ガイドさんは日本人女性と新婚ほやほや。式はまだ挙げてなくて、しばらく彼の家族と同居していたが、彼女の希望で最近アパートに引っ越したとか。すでに彼女のおなかにはベイビーが。
ブータンでは、なし崩し的な結婚が多いそうだ。ブータンは母系社会で財産は長女に相続するケースが多い。夜ごと通ううちに、農作業を手伝うようになりそのまま住みつき結婚となる。田畑が広ければ、ついでに弟も、ということで1婦多夫も多い。1夫多妻の場合もある。
驚くことに、ブータンにはファミリーネイム、苗字がない。だから「家」に縛られることはなく,本人たちの意志にまかされているのだ。
 最近では結婚したら届け出をするようになり、事情は変わりつつあるそうだ。

ブータンの男性は結婚しても浮気は当たり前、離婚も簡単だったらしい。今では法的な結婚の場合は、慰謝料や養育費が請求されるようになり、離婚は減ってきたとか。いったい戸籍はどうなっているのだろう。

 ちなみに現国王ジグメ・シンゲ・ワンチュク陛下は4人のお妃がいる。なんと4人姉妹で一回の結婚式で同時に王妃になったそうである。姉妹ということで、とても仲良くやっているということである。国王は10人の子供がいるが、2番目のお妃に初めて男子が産まれ、皇太子に決定している。私たちがブータンにくる飛行機にブータンの要人が乗っていたが、それが皇太子だったとガイドさんからきかされた。



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