ラリグランス通信 28号

2006.12.20.発行



蓼科雪景色     撮影SONOKO

Merry Christmas
and
a Happy New Year


2006年も終わろうとしています。

2007年も素敵で価値ある年になりますように



28号目次

*ラリグランス活動・・・・・ネパールで
*ラリグランス活動・・・・・日本で
*ネパール視察旅行計画

寄稿:ラリグランスクラブと共に貧しい人達をサポートする喜び・・・モティ・ギミレ

*あとがき

 ラリグランス活動・・・ネパールで 

★ スカラシップの子供達  12月初めに折井・伊藤夫妻をモティさんが案内しました。

★ 識字学級  順調に勉強が進んでいます。

★ 編み物プロジェクト  12月6日から本年度の分は製作が終わり来年度に向けての作業がはじまります。
                12月17日にネパールから戻られた折井恵子さんが帽子の新作を持ち帰ってくださいました。AWEPの注文品です。

ラリグランス活動・・・日本で

★ ガレージセール  11月5日。大学バザーの疲れも取れないまま勢いに乗って、恒例のガレージセールをしました。
              六甲山へのハイキングコースの始地点でもあり、ハイカー達が帽子を買ってくれました。
              売り上げ41.600円

★ CALO(大阪ラテンアメリカの会)  10月28日。CALOのイベントでラリグランスの商品を取り扱っていただきました。
                        29.880円の売り上げがありました。
                        CALOの皆様。有難うございました。

★ 茅野駅でのフリーマーケット  12月2・3日。茅野駅のフリーマーケットに参加。売り上げは渋く11.860円でした。

★ 上諏訪駅の諏訪プラザのネパール料理店ヒマラヤにて、ラリグランスの商品を置いてくれることになりました。茅野駅の売り上げは渋かったけれど、ヒマラヤとの出会いがあり今後展望が開かれることを期待しています。


★ 27号以降のサポーターの皆様

   * ネパール視察のための支援物資寄付
    ・足袋ソックスとタオル(約50組)*ネパール視察のための支援物資寄付
    ・足袋ソックスとタオル(約50組)・・蓼科温泉保科館
    ・明治乳業お菓子セット(5組)
    ・児童用ハイソックス(約100組)
    ・文房具 (スカラシップの生徒・識字クラスの生徒 のために)
    ・中古衣料
    ・薬 (目薬・傷薬(軟膏)・シップ)
   
    ・明治乳業お菓子セット(5組)
    ・児童用ハイソックス(約100組)
    ・文房具 (スカラシップの生徒・識字クラスの生徒 のために)
    ・中古衣料
    ・薬 (目薬・傷薬(軟膏)・シップ)
   
   
   *寄付金協力 [ 滝川彰様 太田治子様 匿名希望者様2名 ]

   *販売協力  [ 石原圭子様 ] 

   

*奨学生訪問・・・奨学生を一堂に集め英語のゲームをしたりして激励し交流を図る。

*識字学級・・・お母さん達の勉強しているところを訪ね遊びを兼ねた賞品付テストなどして激励し交流を図る。

*編み物プロジェクト・・・日頃の労をねぎらい新製品などについて話し合う。

*ラリグランス保育園・・・園児達と交流を図る。

*ゴダワリ地区にある閉鎖されかかっているという保育園を訪問しクラブで支援できるか検討する。

*研修旅行・・・今回のお楽しみ小さな旅はネパール東部のヒレ(標高1850m)という所を訪ねます。ここは8000m級のヒマラヤ連峰が連なる眺望がみごとな所です。又ネパール最高に美味しいと言われる地酒トゥンバが有名です。独特の方法で味わえるらしい。

原文は英語:翻訳 久堀洋子

 5年前、私はラリグランスクラブの代表の五十嵐園子さんに紹介されました。それが私とラリグランスクラブとの最初の出会いでした。最初の仕事はラリグランス保育園をケアすることでした。
 ラリグランスクラブのプログラムを知るにつれて、ネパールの貧しい子供達を助ける仕事に意義を持ち始め、そのことを自分もやってみたいと思えるようになりました。そして、私達はもっとプログラムをふくらますことが出来ないか、を考えるようになりました。ラリグランスクラブの指針や提案に沿って、貧しく、過酷な労働を強いられ、教育の機会に恵まれない人々のために何が出来るのか,と考えました。
 今年3月に五十嵐さんがネパール来たとき話し合って、私たちは奨学生援助のプログラムを立ち上げることにしました。そして、私たちはシリスティちゃんをその一人に選びました。その後の運営その他の責任は私に任されました。

 私は五十嵐さんからあと3〜4人の奨学生を探すようにと頼まれました。私は、貧しく勤勉で教育の機会を奪われている子供達を探し始めました。私は、アヌプ、アシャ、ビシャルを奨学生として選びました。その子供達はサポートしてもらえることをとても喜んでいました。長い間隠されていた笑みが彼らの顔に浮かび、その笑みは輝いていました。私自身経済的にそう裕福ではないけれど、貧困に喘ぐ人々を助けることに大変誇りを感じました。

 今年12月に伊藤、折井ご夫婦がネパールを訪れ、私は彼らに会う機会がありました。そのグループに三村かずえさんもいました。彼女はJICAの海外青年協力隊としてネパールで2年間働いていました。彼女はネパール語に堪能です。彼ら5人を、ブンガマティ障害児学校とラリグランスクラブが係わるラリグランス保育園、婦人達の識字学級、奨学生に案内しました。彼らはとても熱心に見学し、婦人達や子供達とも親しく話していました。訪問を終えて感想を話し合っていたとき、ビシャル タマンのことが話題になり、皆その子供のことが印象に残っていたことが分かりました。
 ビシャル・タマンは8歳で、彼の母親、ヒラマヤ・タマンとアパートにすんでいます。彼らはカトマンズから遠く離れた辺鄙な地域からやってきました。二人はビシャルの父親の姉、伯母さんとも一緒に住んでいます。伯母さんの夫は3年前、政府軍とマオイストの争いの巻き添えで亡くなりました。伯母さんには3人の子供があり、彼女の身の上話や甥のビシャルの話をし、我々一行はその話しに聞き入りました。(写真は左からビシャルの叔母・ビシャル・ビシャルの母)



 三村さんはネパール語が堪能なので、その伯母さんの言うことを丁寧に聞いてあげました。それによると、ビシャルの父親はビシャルが2歳の時他の女性と同棲し、以来帰ってこず、ずっとその女性と暮らしているのです。ビシャルは父親に会う機会もなく、あってももう父親は分からない、といっているそうです。
 三村さんは伯母さんの話を二組のご夫婦にネパール語から日本語に訳しながら、説明していたのですが、突然説明が途切れました。彼女は胸が詰まり、目からは涙がこぼれ落ちました。後で彼女は「ビシャルが父親と別れ、ビシャルがもう父親は分からない、と言ったときショックを受けてしゃべれなくなってしまった」と言っていました。
 私達がビシャルの家から戻る途中、折井さん達はビシャル達をサポートしてくれていることが嬉しいと口々に話してくれました。これらの仕事についての賞賛は私だけにではなくラリグランスクラブの上に与えられたことであります。

 このエピソードから、私は次のように確信しました。
「私たちのしていることは小さい援助ですが、大変意味のある素晴らしく偉大な仕事です。サポートされている人々は、きっとラリグランスクラブに心から感謝していることでしょう。

 あ と が き 


 いよいよ1月14日から31日までネパールに行ってきます。
 同行者は久堀洋子さんです。

 次回29号はネパールの報告となります。お楽しみに!

それでは、皆様良いお年をお迎えください。

ホームページ作成 五十嵐園子
ホームページアドレス http://laligurans.com/
郵便振込口座
名義:ラリグランスクラブ
00960-7-244821

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