ラリグランス通信 29号

2007.2.11 発行



干草・バンディプール於て     撮影SONOKO

ネパール視察旅行を終えました。

毎日霧がたちこめて

ヒマラヤを見ることが叶いませんでしたが

活動には新しい発見と

さらに発展する兆しを感じることが出来て

十分な手ごたえを感じることの出来た

良い旅となりました。



       ※29号目次※

*ネパールでの活動報告
 @スカラシップの子供達を訪ねて
 AW.E.P.(識字教室)を訪ねて
 B編み物プロジェクトを訪ねて
 Cラリグランス保育園を訪ねて
 D新しいスカラシップの学生
 Eネパールグッズの購入

*出会ったお祭り
 女性の祭り・スワスタニ

*日本での活動報告

*混乱のなかの見聞記・・
久堀洋子記

*雑感


*あとがき

 ネパールでの活動報告 

@スカラシップの子供達を訪ねて
 2006年度の活動に新しくスカラシップ制度をつくり5人の子供達から始めました。

そのうちのシリちゃんは家族で消えてしまい消息が分からなくなり残念ながら支援は終了しました。どこかで学校に通えているかどうか分かりませんが束の間でも新しい制服を着て学校に通った経験が種になり彼女の中に何かが育ってくれることを祈ります。
 
あとの4人(アシャとアヌプ姉弟・ビシャル・シリスティ)の各家をモティさんの10年生の娘アヌちゃん1年生のアキオちゃんも一緒に訪問しました。アシャたちのお祖母さんとビシャルのお母さんと叔母さん・シリスティのお母さんともお茶をいただきながら楽しくお話しました。
 
その後みんなで近くの小山に登りそこにあるお寺の境内に藁のござを敷いて野外研修会の始まりです。近所の子供も一緒です。
 




★先ずは質問と答えゲームです。袋の中に人数分の質問用紙を用意しました。
「あなたの好きな教科は何ですか?」「えいごです」
「あなたは将来なにになりたいですか?」「エンジニヤーです」
「あなたの好きな国はどこですか?」「にほんです」「どうしてですか?」しばらくモジモジ考えた後小さい声で「にほんしか知らないから」と言うのには大笑いでした。
「あなたはお金と本とどちらが好きですか?」「本です」「どうしてですか」「おかねでは買えない色んなことを学び知ることができるからです。」という感動的な返事もありました。この子はビシャルの従兄弟で12歳の男子です。
 
★次はクイズのようなドリルをします。教材は日本で見つけた英語で書かれた楽しいドリルです。目が三つあったり手が4本あったりするかわいいお化けの絵がありその絵を見て「2つあるものはどれでしょう?」という問いに答えます。私たちの目や手は2つありますがその絵を見て固定観念に惑わされずに答えるのは難しいものです。
出来た子供から順番にアヌちゃんのところに用紙を持っていって点数を付けてもらいます。100点になったら日本からのお土産のお菓子を一切れもらいます。
出来た子供はまだ出来ない子供を手伝います。
通りがかりの人も興味深げに覗きこみます。そのうちの一人の婦人が夢中になって教え始めました。近くの学校の教師でした。学校でやってみたいからドリルのコピーを欲しいといって持って帰りました。
 
★次は身体を動かすゲームです。みんな輪になってその中心に人数より少ないお菓子を置きます。
みんなでレッサンピリリーを歌い輪になってグルグル走ります。私がストップというとお菓子を取りに走ります。取れなかった子は外に出て又お菓子を減らして進めます。最初弾き出された子は近所の小さい坊やで突き飛ばされてお母さんと所に行って大泣き!さて2回戦。ストップを掛けるとお菓子が宙をとんで変なところに転がったのを素早く大泣きの子がキャッチでニコニコ。
最後は仲良く一つずつお菓子を分け合って交流会は終わりました。

※スカラシップの子供達と通りすがりの子供と大人と私たち。楽しい交流の場が持てました。

AW.E.P.(Woman Education Program )婦人識字学級を訪ねて
2006年6月から、ラリグランス保育園が終わったあとの教室で読み書きの出来ない婦人たちの識字学級を始めています。
生徒は10人ぐらい。先生は村で識字学級で教えた経験のあるラリグランス保育園の教師マンジュ先生です。
毎日、ネパール語と英語のアルファベットから勉強しています。鉛筆の持ち方から学んだ生徒も今では名前が書けるようになりました。
文字が書けるようになったみんなの喜びは大変なものです。
今回お母さん達と交流の場を持ちました。

★先ずは皆の勉強の成果を見るためのゲームです。かごの中に英語とネパール語のアルファベット1文字を書いた紙を入れます。各自1枚ずつ取り用意ドンでアルファベット表にある同じ字のところに置きます。早く見つける人、なかなか見つけられない人、色々ですが助け合いながら楽しく出来ました。

★次はお母さん達と仲良くなれるように<質問&答えゲーム>です。かごの中にネパール語と日本語で質問を書いた紙を入れ各自で選んでもらいます。まだ読めるところまでいっていないのでサンタさんが読んであげました。

「あなたが、いま、いちばんたいせつにしているものは、なんですか?」「あかいいろの サリーです。赤い色が大好きなのです」
「あなたは、夫とこどもと どちらが すきですか?」笑い「どちらも おなじぐらい すきです。」笑い
「あなたのいちばんとくいな タルカリ(野菜をいためたネパール料理の定番)は何ですか?」「じゃがいものタルカリです。わたしがじゃがいもみたいだから(まるまるした可愛い顔)」みんな大笑い
「それは、どのようにして つくるのですか?」「まずジャガイモをボイルします。それから切ります。鍋に油を入れ香辛料をいれジャガイモをいれて炒めます。それから食べます。」「え〜?自分が食べるのでなくみんなにたべさせるものでしょう!」と他から声が掛かって大笑い
「あなたの いちばんのたのしみは なにですか?」「夫と でかけることです」「オ〜!」と拍手と笑い
まだまだ楽しい質問&答えが続きました。
最後にマンジュ先生が引いた質問。「貴女にとってこれまでで一番嬉しかったことは何ですか?」「私が村で文字を教えた人々が立派に書けるようになり、喜んでいる姿を見た時です。」という答えが返りました。
「これからはここに集まる人々のためによろしくご指導下さい。」とお願いし最後の質問はあたかも前もって計画していたかように、このゲームはめでたく締めくくられました。

★盛り上がったところで次は賞状授与式です。これまで一番出席の多かった生徒に賞状を授与しました。
前日モティさんとA4の紙にプリントした賞状を作りました。ラリグランスクラブのロゴも手書き彩色で書きました。とても立派できれいです。
<貴女はW.E.P(Woman Education Program)に一番多く出席し勉学に励みましたのでこれを賞します。これからも勉強に励んでください。というような事をネパール語でモティさんが書きました。
賞を獲得したのは、フル・マヤさんでした。ジャガイモのタルカリが得意なご婦人でした。
部屋の壁に飾りますと言って心底から嬉しそうな誇らしげな笑みを浮かべました。

★さあ今度は最大のお楽しみ<お土産>です。モティさんから日本のお土産よりネパール人の婦人に日常欠かせないショールが喜ばれるとの助言を受け、ごく普通のショールをいろんな色で用意しました。
ふつうに手渡すのは面白くないので、黒板に大きく書いたアミダくじです。上部に名前を書き下部にショールを置きます。自分の名前の下にあるショールが当たるとは限りません。不思議なくじに大興奮。
赤が大好きと言ったチャンダカラさんが当たったのはパープル。トホホ、、。でマタマタ大笑いです。「この色も好きです。」と強調しているのも笑えました。

★最後はダンスとカジャ(おやつ)。アルファベットゲームでは無口だった婦人が堂々とネパールダンスを披露してくれて感動!カジャは日本からネパールの人たちにと託された美味しいお菓子の詰め合わせを一人ずつお皿に分け合って頂きました。おいしい〜!
 

B編み物プロジェクトを訪ねて

★サンタさんの指導のもと年々上達している編み物プロジェクトでは新しい製品に取り組んでいます。日本の編み物の本からサンタさんが選びサンプルを編み頑張っています。帽子のほかセーターにも取り込む試みを始めました。
今回は帽子やマフラー100点ほど持ち帰りました。














Cラリグランス ケア センター(ラリグランス保育園)を訪ねて

★今回は私たちが訪問するので特別に園児達にカジャと果物が用意され子供達も大喜びでした。
お昼寝の時上に掛けるのにシーツ1枚だけで寒いのでクラブからフリース状のブランケット6枚寄贈しました。
園児のお昼ね中に私たちもカジャをいただきながら話が弾みました。ブランケットのお陰で園児達が良く眠りゆっくりお話できたと先生達が喜んでくれました。












D新しいスカラシップの学生2名

去年末にモティさんより新しいスカラシップの候補生を推薦されました。
保健婦を目指すクリシュナ・マヤさんと生まれつき全盲のマドゥさんです。
ネパールに着いた翌日早速クリシュナさんを訪ねました。

★クリシュナ・マヤ・ミジャ−ルさん
彼女の村はカトマンズから25Kmぐらいの所にあるナガルコットの山にあります。その村には最下底の階層ダリットの人々が17軒住んでいます。家の状態は貧困で生活は困難を極めています。その村からSLC試験に合格した人は彼女がただ一人です。
モティさんは彼女が勉強をしたいと願っているトレーニング校にも行ってスタッフの方と相談しました。今トレーニングを受けるのは40人でダリットは彼女一人です。サポートをしてあげるのなら彼女にとってどんなに救いになるかと話されたそうです。
1.貧困である。2.ダリットということで差別をされながらも勉強に励みSLCに合格をした実績がある。3.保健婦になるために絶対勉強したいという意欲がある。ということで彼女のトレーニング校のための経費をサポートすること決めまりました。期間は16ヶ月です。

モティさんがシリスティ・ミジャールの家を訪れた時にたまたま遊びに来ていたクリシュナさんに会ったのがきっかけです。彼女にとっても私たちにとっても素晴らしい出会いとなりました。







★全盲のマドゥさん。

昨年末モティさんが近所の雑貨屋さんで全盲の少女に出会いました。何処かで会った様な気がすると思い話を聞くと2年前に私たちで訪れたブンガマティの学校の障害者宿舎にいた少女でした。今5年生です。そこは環境が合わなくて去年から別の学校に通っているのですが月謝が半年も滞納で今休んでいるとのことでした。目が不自由な子供こそ勉強を続けることは必要なことなのでスカラシップに推薦されました。

早速彼女の家を訪問しました。ここでは家族の暖かい庇護の下に育てられていることが分かりました。学校では寄宿舎にも入らねばならず金銭的にゆとりがなく困っているとのことでした。学校は目の不自由な生徒のために特別のクラスもあり点字ライブラリーもあって恵まれた環境でした。それで学校の月謝の支援をすることに決めました。

彼女に「将来何になりたいですか?」と尋ねると「歌手になりたい」と答えました。「聞かせてください」とお願いするとネパールの国民歌を澄んだ声で浪々と歌ってくれて一同感嘆の声をあげました。歌の勉強をさせてあげたいと思いました。

Eバザーのためのネパールグッズの購入

写真は新しく仕入れたバッグ(カモシカ皮、手刺繍)です。
上段はショルダーバッグ。左が1800円。右が2500円です。
中段は大きさが分かるために名詞・パスポート・郵便通帳を並べました。
下段は左2つは600円。右が1100円です。
仲間内でもう売れ始めています。
希望者があれば、メールでお申し込みください。

バザーでは、編み物プロジェクトの製品を主にしたいのでネパールグッズ購買への意欲がどうしても削がれます。
人気のカモシカポーチを何種が選びましたが、値引き交渉と粗悪製品のチェックに疲れてしまいました。
日本に帰ると毛糸の物はいらないけれどポーチが欲しいという友人が大勢いてもっと頑張ったらよかったかなと後悔しています。



ネパールで出会ったお祭り

女性のお祭り・スワスタニ

 サンクーの玄関  乗るには怖い遊戯機具

 

 沐浴する婦人  各地から集まった婦人達

カトマンズから20Kmほど東にサンクーという古いネワール族の村があります。ネワール工芸の見事な木彫りの彫刻に覆われた家は今にも崩れそうですが、人々はのんびりその家に住んでいます。
サンクーの村の東を流れるサリナディに面した寺院では、毎年一月の中旬の満月から満月にわたる1ヶ月。赤いサリーを身に付けて女の人達がお参りに集まります。
サリナディで沐浴すると穢れが払われすべての願いがかなうと言われています。私たちも女の端くれとしてお祭りに詣でました。
遠方から団体で来ている人々・仲良しグループで来ている人々と賑やかで門前市がたち移動式遊戯機具も動いています。
春の訪れを告げるお祭りでもあり沐浴こそしませんでしたが、これからの1年に希望が持てるような気持ちになりました。

 日本での活動 

★サポーターの人々

*28号以降の寄付金提供  多田陽子様 匿名希望者さま 2名

*ネパールグッズ販売協力  KOKORO( 大和幸子様 ) 
                   石原圭子様
                   稲富千佳子様
                   川勝宏子 様
                   ノートルダム女子大同窓会2期有志

 *** 混乱の中の見聞記 *** 

久堀洋子 記

[ネパールの政治情勢]

 私のネパール訪問は今回で3度目。2005年以来である。昨年は「4月革命」と呼ばれるネパール人民の盛り上がりがあり国王による独裁体制に反対する主要7政党が、民主化を求めてゼネストを開始し、デモなどの街頭運動が一気に全国に拡大した。その結果4月24日、国王は国営TVを通じて「主権を国民に返す」と宣言した。マオイストも8番目の政党として加えられた。
「ビスターレ(ゆっくり)」の国なのでその後の話し合いはなかなか付かず、どうなっているのだろう、心配したが、11月になって!やっと「平和合意」が成立し、2007年6月には、制憲議会選挙開催予定の運びとなった。1月半ばから、暫定政府が発足とのことで、ずっと地下に潜行していたり、山岳地帯で武装闘争を繰り広げていたリーダーが登院することになった。
 今回私は、そんな時期にネパールに滞在する事になった。

今回の旅では園子さんとは2日間別行動があり、園子さんはバンディプール滞在、私の方は、20日はモティさんご夫婦とヒマラヤの見えるダマンにドライブに、21日はどこかカトマンヅ近くに行こうと決めていた。
 21日、園子さんはカトマンズに戻る予定なので、朝食の時サンタさんと「朝早く家を出た方がいいね」と話していると、モティさんが、「タライ平原のシラハ州のラハンでの暴動が大きくなり、昨夜はバスやトラックが燃やされて、1人死者も出ているそうですよ。それで今日はバンダ(交通ストライキ)です。園子さん、しばらく帰れませんね」「えー!なんて言うこと!いつ解決するんですか?」「タライの問題が解決しないと、だめでしょうけど。去年と違って、そんなに時間はかからないと思いますよ」。
 去年の「四月革命」とは訳が違うけど、タライの暴動が何を要求していて、何がどう解決すればストが終了するのか、私にはさっぱり分からない。     

 タライ平原はネパール南部に広がり、インドに接している。有名なチトワン国立公園もそこにある。そこに住んでいる人々は「マデシ」と呼ばれていて、出身はインドの人が多いそうである。
 この暴動を指導しているのは、「マデシ ジャナアディカール フォーラム」(タライの人々の人権を守る集まり)と言うグループである。21日は政府の建物が焼き討ちされ、午前11時から15時間の外出禁止令が出された。また、バスやトラックが何台か焼かれたので、運送業界はその弁償金が政府から支払われない限り、無期限ストを続けると,いっている。
 暴動が大きくなったのは、16歳の少年が武装したマオイスト(ネパール共産党毛沢東派)に発砲されて死亡。町の中央に安置してあった遺体をマオイストがどこかに持ち去ったから、と言われている。一方、マオイストの方は「発砲していない」と辯明し、「ラハンの暴動は、国王派が制憲議会選挙を遅らせようと内部から策動している」と言う見方をしている。 先の「フォーラム」によると、タライ平原地帯は山岳地帯と同様に政治の世界から無視され、暫定政府にもその利益が反映されていない、と言うのが一番の不満で、6月に予定されている政権議会選挙でも選挙区や比例代表の数などにも不満があり、危機感が爆発したようである。

 「バンダのカトマンズ ]
モティさんが「バンダのカトマンヅを見に行きませんか」と誘ってくださったので、午後から町の様子を見に行くことにする。

 
モティさんの家はカトマンヅの東、トリブバン空港の近くに位置している。(もしバンダで交通がマヒしても、空港まで歩いていけますから安心です、とモティさんが言っていた)
 家を出ると、子供たちは原っぱでサッカーやバレーボールに興じている。今日は休校なのだ。大人たちも大きな板の上でおはじきをとばしあうゲームをしている。でも、これはバンダでなくても職のない(?)大人がいつもやっていることだ。
 そして、
リングロードに出てみると、自転車とバイクだけ!いつもは車でひしめき、クラクションの騒音と排気ガスでいっぱいなのに。たまに車のフロントガラスに「Press」「Toulist」の張り紙をした車が通るだけだ。思わず、深呼吸をしてしまった。
 歩道でなく車道いっぱいに、人々がのんびり歩いている。道路の両側の店はいつも通りあいていて、何事もなかったかのように営業している。野菜の後ろで店番をしている人、店の前に出したミシンで一心不乱に縫い物をしている人、揚げ物のお菓子を上手に積み上げている人。(写真は車が途絶えたメインストリート)

  

私たちは、歩いて近くのネパール最大のヒンヅー教寺院を訪ねることにした。
 
火葬用の台(アルエガード)からは煙が上がっている。火葬用の台は橋を挟んで上流に2台、下流に4台あり、上流は王族専用、下流は庶民用である。
ヒンヅー教の人たちは、輪廻転生を信じてお墓を作らない。遺灰はバクマティ川に流すのである。
 川には水が少なく、水浴している人はいない。その川に10人ぐらいの男女が熊手のようなものを使って川の中をさらっている。バクマティ川が汚いから掃除をしているのかな、と思ったらどうやら金目のものを探しているようだ。
 私には、来世を願って燃やされる遺体より、汚い冷たい水の中で何か探すしか仕事のない人たちの方が、なんだか生々しく感じられてしまった。
 4台の火葬ガートのうち、2台からは勢いよく火の手が上がっている。もう一台のところに新たな葬儀のためのグループがやってきた。私たちは対岸の階段に座って一部始終を見ることにする。
 
[パシュパティナート寺院の火葬]
 火葬用ガートの近くに家族や親戚の人が集まり、火葬をする前に儀式が行われる。参加している人たちは日本と違いみんな普段着である。女の人はいない。モティさんによれば、「女の人は心が弱い」からだそうである。その後喪主とおぼしき人ともう一人で、竹にくくられた遺体を担いで、薪が組まれた櫓の周りを回り、遺体を櫓の上にのせる。係の人が遺体に、油、砂糖、ごまなどをまき、喪主とおぼしき人が火をもらって、遺体の口のあたりに火を置く。係の人がその上にわらの束を沢山のせると、火は一気に燃え上がる。係の人が遺体を運んできた竹の棒を使って、火の勢いを調節する。係の人は白い布を腰巻きのように巻き、上半身はランニングのようなものをきている。
 隣の火葬ガートは火が衰えつつあり、係の人はまだ燃えている薪を次々と、竹の棒で川に落としている。そのたびにジュ!と川面に湯気が上がる。やがて火もおさまり、係の人が何やら固まりのようなものを火の外に出すと、喪主とおぼしき人がそれを布に受けて川におり、それを川の中の石の下に入れていた。
 係の人は竹の棒1本で焼け残った薪を上手に川に落とし、バケツで川の水を何回かくんできて火葬ガートの上に流す。何かお目当てのものがあるのか、どこからか猿が何匹かやってきて、何か拾って食べている。火葬台からはまだ湯気が立ち上っているが、もう何もない。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タライ平原での暴動にも驚かされたが、それは、今まで物言わぬ人々が声を上げ始め、要求を政府に突きつけ、勝ち取った事件だった。国王が退陣し、人々の政府ができつつあるネパールの大きな転換点に立ち会った気がした。「ビスターレ」ではあるけれど、多くの人々の生活がよくなるように、願わずにはいられない。

初めて、冬の時期の訪問だったので、暖房のある生活になれた私は、寒さにふるえることが多かったが、ネパールの殆どの人が、裸足、薄着で過ごしている様子には、びっくりさせられるとともに、たくましさを感じさせられた。

今回は旅の間ずっと、モティ家に滞在させていただいた。サンタさんにはネパールのお料理や女性の暮らしについて、長女のアヌちゃんや長男のアキオ君にはネパールの学校の生活や友達のことなど沢山教えてもらうことができた。
勿論モティさんとは園子さんと3人で「ラリグランスクラブ」の活動についてゆっくり話し合い、活動のあり方など確認できたのはとてもうれしいことだった。

今回はネパールの生活にどっぷりつかり、貴重な経験が沢山できた旅となった。   了

 
*** 雑感 ***

ネパールを訪れるのは今回で8回目となった。

私も歳をとったせいか<いのち>について考えさせられた旅であった。

今回は特にネパールの中でも貧しい人々と交流を持ったからかもしれない。ネパールには<誕生→生育→老い→終焉>という人間の一生を考えさせられる何かがある。

人々は常に<今日を生きる>ということを考えながら生活しているようだ。神のことをいつも意識している。

ネパールでは生きるために(餓死しないように)食べる。生きるための(凍死を避けるための)家。

日本人は国の周りをぐるりと高い壁で囲み、その中で安穏と生きているのではないか?温室で消毒液を浴びながら育つ華麗なバラのように。

飛行機でブ−ンと壁を乗り越えたら原始時代の薫が漂う自然の中で懸命に生きている人々に出会える。

人間の命の重さは壁の内と外で違うものなのか?
壁の外で暮らす人の命は軽んじられているように見えるが、壁の内の人のものよりずっしり重いのに違いない。
過酷な自然の中で順応できず倒れている人々もたくさん目にした。その苦労は死んでから報われるに違いないと信じられた。

私たちが交流した懸命に生きるあの人たちは、しんどそうだったけれど逞しくて輝いていた。温室に安易に引きずり込んではいけないと思った。
私の方が温室から飛び出たいのだが残念ながら全く気力も自信もない。情けない。
神の国はあの人たちのものだと思えた。

 あ と が き 

今回はカトマンズ周辺とバンディプール周辺の生活困難者たちの家を数多く訪ねました。

彼らの逞しさ忍耐強さと明るい笑顔に感動させられました。

支援のあり方も体験を通じ学ぶことが出来ました。

これからも体験を生かし一歩ずつ前進しようとモティさん洋子さんと誓いました。

ホームページ作成 五十嵐園子
ホームページアドレス http://laligurans.com/
郵便振込口座
名義:ラリグランスクラブ
00960-7-244821

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