ラリグランス通信 38号

2008.1.8. 発行



w.e.pのあるダリコット村からのヒマラヤ連峰 ’07.12  撮影:モティ・ギミレ



新年明けましておめでとうございます。

今年も昨年同様に皆様方の暖かいご支援をお願い申し上げます。




38号目次

38号 目次 no.38 index
ネパールからの活動報告  

*奨学生たちの様子
activities in nepal 

* scholarsip children
ラリグランスクラブを顧みて(2001年から2007年)
             モティ・ギミレ記
a glance of laligurans club since 2001 to 2007
(from moti ghimire)
 スマナのコラム ( no.5)  sumana’s  column ( no.5 ) 
 あ と が き   postscript

1ネパールからの活動報告報告:モテイ・ギミレ
   

★ 奨学生の様子

*奨学生の2学期の成績

名前 学年 成績% 成績順位
アヌプ・タパ プレスクール 87.25% 13番
アシャ・タパ 4年 64% 7番
ビシャル・タマン 1年 76% 3番
シリスティ・ミジャル 2年 62.75%
ルパック 55.5%

コメント

*アシャは試験の時期に体調を崩し1学期のように点数を取れなかった。

*ルパックは先生の話によると、殆ど目が見えないため黒板に書かれたことは理解できず耳で聞くだけの勉強ですが、大変勉強にたいして意欲的に取り組んでいます。ということです。
盲腸の病気を持っているので冬休み中に手術をするとお父さんが言っていました。
クラブでは経過を見守ります。

*マドゥさんも楽しく音楽の勉強を続けています。

*保健婦の勉強を続けているクリシュナさんは今ojp(observation job training)の研修を受けています。その後1月末に最後の試験があります。よい成績で卒業し就職が出来る事を願っています。





2 ラリグランスクラブを顧みて     モティ・ギミレ 記

 ラリグランスクラブは2001年にバンディプールのノートルダムスクールを訪問した事から始まりました。最初は保育園の貧しい園児たちのために日本で寄付を募り食料を提供する事を考えました。しかし訪問直後にネパールでは暴動が起こりノートルダムスクールは閉鎖されクラブの活動はノートルダム修道会が立ち上げたバニヤタールの保育園へ移りました。バニヤタールの保育園では子ども達は小さな暗い不衛生な部屋で不自由な生活を強いられていました。クラブではラリグランス保育園と名付けサポートすることになりました。
 
 その時から6年の年月が流れました。その間随分多くの進展があったと私は思います。
 
 現在の活動は、ラリグランス保育園への家賃と食料支援。その他7名の生徒が奨学金を受けています。6人が小学生で一人がプレスクールです。又、これまで無意味に暮らしていた婦人たちに編み物の仕事を作り、12名の教育を受けられなかったお母さん達のために識字教育を始めました。私達は彼女達を勇気づけ年をとっても勉強が出来る機会を作ってあげることが出来ました。
 支援を受けている人々はみんな大変喜んでいます。なぜならクラブは彼等に生きる価値のある生活を実現させてあげたからです。
 医療処置のサポートも求められ昨年はアシャとディリのケアをしました。
 このようなことから私はクラブには大きな進展があったことをつくづく思いました。

 
 2007年の12月22日。ポカラの会(ラリグランスクラブhpのリンクを参照)代表の倉光誠一氏が友人の岸田さんと孫のユウさんと一緒に訪ねて来られました。私はカトマンズを案内しラリグランスクラブの活動を見ていただきました。みなさんは大変感動されて、私はクラブとしても倉光氏たちを案内する機会をつくっていただけたことに心から感謝しました。

 ネパールは倉光氏にとって今では珍しい国ではありません。もう29回目の訪問だったからです。
けれども倉光氏は「ネパールのことは沢山知っていると思っていましたが今回案内していただいた村のような生活はこれまで知らなかったことで、初めての感動的な経験をさせてもらった。」とおっしゃいました。
 
 私は みなさんを私達が関わっているコトンジュ村の奨学生のアシャとアヌプとシリスティの家に案内し、また識字学級のあるダリコット村に案内したのです。
ここは観光のエリアではありません。旅行者で訪れる人はいません。みなさんは大変感動されました。

 私はみなさんが受けられた感動はクラブにとっても大きな栄光になるだろうと確信しました。

(写真は倉光氏達を迎えた識字クラスのお母さん達とその子ども達)

 

A glance of Laligurans Club ,since 2001 to 2007 [by Moti Ghimire] 原文
In 2001, the members of Wander Vogel Club visited Notre Dame School in Bandipur.
At first Laligurans club was established with the aim to provide lunch for the poor students of nursery. This was done by collecting the money. But at that time, due to terrorism in the country, the club had to be closed in Bandipur and was shifted to Baniyatar. There, the children sat side by side in dark small rooms for studies and the club wanted to help with that.
Now, it has been six years since its establishment and I think it has done a lot of progress. It has not only helped the poor school children by providing scholarships but the housewives as well, by organizing a knitting work through which many mothers make a part of their living.
It has also encouraged many of them and provided opportunity to study even in their old age. All the helped people are very much glad because this club has their living worthwhile.

Till now 7 students have got scholarship, out of them, six students are in school levels and one is in nursing. The club has given knitting work for the women as a part time job who had been staying idle and also 12 uneducated mothers are studying through this club. It has also helped the needy people with treatment. The treatment support for Asha Thapa and Dilkumari is an xample.i consider this a huge achievement for the club.

                     In 22nd December 2007, Kuramitsu Seichi, the president of INGO Friends of Pokhara had visited Nepal along with her friend Mrs. Kishida and her grand daughter Kuramitsu Yu. I was very glad to show them the activities done by Laligurans Club and they were very impressed with the work. I and Laligurans club are very thankful to them for giving us their precious time.

                      Nepal is not a unknown country for President Kuramitsu. This is his 29st visit to Nepal. He knows a lot of things about Nepal, which even we, the Nepalese are unaware of. According to him, this visit to Nepal is a very new experience for him among all other visits. He said that he didn¨t know about the Nepalese village lives before this.

                       They was very pleased to visit Katunje village and Dadhikot village which are the workplaces of Laligurans Club. These places are not the tourist area. Hardly any tourists go there. They visited the home of Asha and Anup and Shristi who got  the scholarship from Laligurans Club. I am sure that even their small encouragement for the club will benefit a lot.


 すまなのコラム No.5  スマナ・シュレスタ記

ネパールの家庭料理 : 野菜カレー

ネパールの家庭料理といえばダルバトタルカリアチャールのことです。
ダルというのは豆のスープでバトは白ご飯のこと。そしてタルカリは野菜カレーのことです。
アチャールは日本で言えばつけもののことです。
これを一日二回(朝と夜)に作って食べます。
そのほか朝はお茶と昼にカジャという昼ごはんも食べます。このときはダル・バト・タルカリは食べません。
一日二回も同じ食事で飽きませんか?とよく聞かれますが、毎回違う野菜を使って料理をするのでいくら食べてもネパール料理は飽きないしおいしいです。

さて今回はカリフラワとジャガイモを使った野菜カレーの作り方を紹介したいと思います。
           

材料

1.カリフラワ  1個 
2.ジャガイモ  2個
3.たまねぎ   /2個
4.トマト    1個
5.しょうが
6.にんにく
7.スパイス(マサラ、ターメリック、塩)





   

作り方

1.まずフライパンに油を入れます。油が熱くなったらスパイスを入れ切った玉ねぎを入れて炒めます。火は中火にします。
2.次は切ったジャガイモを入れて玉ねぎと炒めます。
3.たまねぎが黄色くなったら、切ったカリフラワを入れて炒めます。
4.次におろしたにんにくとしょうがを入れます。そしてフライパンにふたをして火を小さくします。
5.5分ほど煮てから切ったトマトを入れてまぜます。
6.少し水も入れてまたふたをして5分間待ちます。火は弱火です。
7.
それでカリフラワとジャガイモのカレーが出来上がります。

食べ方

ネパールのカレーは日本のカレーとは味も食べ方も違います。
日本のカレーはご飯にかけて食べますがネパールの場合はご飯に少しづつ付けて食べます。
また同じスパイスを入れても野菜によってカレーの味が違うのでそれがネパールカレーの特徴です。

今回はカリフラワとジャガイモを使ったカレーでしたがほかの野菜も同じ作り方で作ることが出来ます。写真は蓼科の五十嵐山荘でカレーのディナーを楽しんでいるところです。
だれでも簡単に作れる料理だと思いますのでネパール家庭料理の味をお家でも作って召し上がってくださいね。

スマナ・シュレスタ  より。

 通信37号以降のサポーターの皆様

*寄付金協力
 [  多田陽子 様  太田治子 様  匿名希望者様2名 ]

*販売購入協力  

     ★久堀洋子様 川勝宏子様  稲富千佳子様


4 あ と が き

ポカラの会(リンク参照)代表の倉光誠一先生は通信第1号からお世話になりご指導を仰いでいる大先輩であります。

「初めてネパールを訪問する同行者を、貧しくとも健気に生活している人々に会わせて上げたいのですが、、」という依頼を先生から受けたのでモティさんに案内をお願いしました。

同行者の方々もですが倉光先生がとても感動してくださいました。

20年以上もポカラのハンディキャップの子ども達の施設を支援され続けてこられた大ベテランの先生がラリグランスクラブの活動に理解を示し感動してくださったことは大変嬉しく今後の活動への自信にも繋がり励みになりました。

本年度もこれまでのように先輩方の意見を聞きながら私達独自の活動を固めて行きたいと思います。

   

ホームページ作成 五十嵐園子
ホームページアドレス http://laligurans.com/
郵便振込口座
名義:ラリグランスクラブ
00960-7-244821

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