**2008.10.3. 発行**
結婚の挨拶に来たタクシードライバーのジョゲンドラ君と新妻 2008.4. 撮影SONOKO
ネパールの制憲議会は全然進展しません。
これまでの政治に絶望した国民がマオイストに期待をし、
マオイストが選挙に打ち勝ったのだけれど、首相になったプラチャンダは
家族を外遊に連れて行ったり官舎に豪華な家具を運び込んだりして
公私混同が甚だしいということで顰蹙をかっている。
いつになったら明るい兆しが見えるのだろうか?
47号目次
1 | モティ・ギミレのネパール報告 |
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2 | 倉光優さんのカトマンズ・レポート |
3 | ラリグランスクラブの支援者に感謝 |
4 | あとがき |
ご安心下さい。スカラシップの子供たちは、全員が元気で、勉強に励んでいます。
新しくスカラシップ生として迎えた、盲目のSharmila Bhattaraiさんの 寄宿舎を訪ねました
学校の授業で使うカセットレコーダーを、買って上げました。
授業では、健常者の生徒と同じクラスで勉強をするため、先生の話をテープに録音し、
寮にかえってからテープを聞きながら勉強をします。
点字用の紙も買ってあげました。
シャルミラさんは、私達の支援のおかげで、勉強が出来ることを 大変喜んでいました。
ラリグランス通信でも度々話題にのせていますが、ポカラにカトリックの司祭・大木神父様が開いておられる障害者のための施設・シシュビカスケンドラ(ホームページのリンク参照)があります。それを支援するポカラの会の代表をされている倉光誠一氏のお孫さんが、大学を休学し研修をかねてポカラに行かれるというので、その前にダディコット村にモティさんが案内しました。識字学校には去年も訪ねてくださり(通信38号参照)スビタ先生と仲良くなって、「来年も来るよ」という約束を果たされたのです。とてもいい体験をされたようなのでその時の様子をレポートしていただきました。優さん。有難うございました! |
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9月19日。カトマンドゥからバクタプールのダディコット村のスビタさんの家に、モティさんに連れて行ってもらい、一泊させてもらいました。
スビタさん、お母さん、妹さん(スジタさん)、弟さん(ニケス君)みんなあたたかく迎えてくれました。
スビタさんの家はとてもきれいで整っていました。
荷物を降ろしてからスビタさんとスジタさん、ニケス君とその友達が景色のよく見えるところまで案内してくれました。赤、黄色、紫など、いろいろな色のきれいな花がたくさん咲いていて、とてもきれいでした。高いところから見るダディコット村とその周りは、田んぼの緑が映えて遠くの山まで見渡せて本当にきれいでした。家に帰る途中お寺にも行きました。
19:00からお母さんたちの識字学校へ行ってお母さんたちが勉強している様子を見せてもらいました。
お母さんたちは一日働いて疲れていても、とてもうれしそうに机についていました。この日は一人一人スビタ先生に当てられて、ネパール語の“あいうえお・・・”を暗唱していました。ほとんどのお母さんが間違えることなく最後まで順番通りに暗唱していました。
字を勉強するようになって変わったことは何か尋ねると、「今までは自分の名前が書けなかったから文書にサインができず、指で判を押すだけだったけど、今はサインができる。」「本を読むことができるようになった。」という返事が返ってきました。
勉強している様子を見せてもらっていると、お母さんたちはみんな真剣で一生懸命なことがよく伝わってきました。私はネパール語が話せないのですべてモティさんに通訳してもらったので、もっと勉強して今度は自分でいろいろ質問したりお母さんたちとしゃべりたいと強く思いました。
授業が終わってスビタさんの家に戻り、お母さんの作ってくださったおいしいごはんを食べました。スビタさんのお母さんは、私があまり辛いものは食べれないだろうと気を遣って、辛くない料理を作ってくださいました。スビタさんの家では、ガスのコンロも使っていましたが、かまども使っていました。夜はスビタさんと少し話をして寝ました。
次の日の朝は、牛の鳴き声で目が覚めました。この日は土曜日だったのでスビタさんは一日私を、いとこの家や山や畑など、いろいろなところに連れて行ってくれました。スビタさんのいとこのゴピさんの家では、手作りのヨーグルト、ドヒをご馳走になりました。その後山に登り(途中ヤギの赤ちゃんを触りました)、景色を楽しみました。
ダディコットには車やバイクはあまり来ないので、街と違い、クラクションや車の走る音はまったくなく、自然の音だけで、本当に静かでした。山から帰る途中、雨が降ってきて服がぬれていたのでスビタさんのお母さんがネパールの服、Kuruta suruwal(クルタ スルワル)をかしてくださいました。
一休みした後、今度はスジタさんがグンドゥという隣の村まで案内してくれました。そこでは、二ケス君の学校、ヒマール・アカデミーに行き、校長先生と二人の先生がいらっしゃったので少し話をして、お茶をご馳走になって帰りました。先生方はとても熱心で、日本とネパールの教育の違いについて尋ねられました。
学校から帰り、お昼ご飯をご馳走になって、モティさんの家に帰りました。一泊二日の短い滞在でしたが、とても楽しく、勉強になりました。
ネパールの人たちはみんな良い人という印象は以前からありましたが、ダディコット村の人たちは特に自然で、ダディコット村の人たちの暮らしを見ていると、見習わないといけないなと思うところが多くありました。
その中でも特に、彼らの、自分の子どもでも、他の家の子どもでも、同じように扱うという姿勢は本当に大切だと感じました。どこの子でも、悪いことをしたら叱るし、良いことをしたらほめるという、当たり前に思えることですが、今の日本ではあまり見られないことです。他の家の子どもには遠慮があったり、または自分には責任はないという思いから、日本では、自分の子ども以外の子どもにはあまり深くかかわらない人が多いと思います。しかし、ダディコット村の人たちは一人一人深くつながっていて、とてもあたたかかったです。村の人たちは、意識しなくても自然にそうしてつながっているので、みんな穏やかで優しいです。
写真:左からスジタさん、スビタさん、優さん、二ケス君、お母さん
私が会って話したネパールの人で、「日本はとても発展していて豊かだ。ネパールはなかなか発展しない。」といったことを言う人が何人かいましたが、私は、日本が発展したのは、努力や運や他の国からのサポートがあったからという理由のほかに、日本人が自分の利益にとても重きを置いて突き進んできたという理由があるのではないかと思います。自分の利益のことを考えるのは当たり前のことで、まずはそれがないと何も始まりませんが、自分の利益のみを追求する癖が染み付いてしまうと、今の日本のようにギスギスした世の中になってしまうのではないかと思います。
他の家の子どもを叱らないのも、「自分の利益のみを追求する」という姿勢の延長線上にあるのではないでしょうか。自分の子どもではないから間違ったことをしていても自分には関係ない。叱っても自分の利益にはならないし叱ると面倒くさいことになるし気分も悪いから放っておく、ということが今の日本には多いのではないでしょうか。これは昔の日本にはなかったことだと聞いています。「発展」の過程で変わってしまったのでしょうか。
私は、ネパールでの貧富の差は縮めるべきものだと思いますし、ネパールの人たちが自国の発展を望むのは当然のことだと思います。しかし、ネパールの人たちが日本人のように自分のことだけを考えるようにはなってほしくないと思います。今のネパールのまま、より良いネパールになってほしいと、この二日間で感じました。
☆ 通信46号以降のサポーターの皆様
***寄付金御協力 [ 匿名希望様 1名 ]
***販売購入御協力 [ 川勝宏子様 久堀洋子様 稲富千佳子様 ]
☆ 秋のバザー 予定
*** 10月19日 ノートルダム学園小学校バザー
今年もボランティアサークルの方々のご協力に拠り販売致します。
*** 10月23日 京都ノートルダム女子大学 同窓会館マリアンハウス・オープンデイ
毎年同窓会からは寄付金を頂いています。
今年は初めて同窓会館でのオープンデイで販売をさせていただくことになりました。
*** 10月25日26日 京都ノートルダム女子大学 学祭
今年も学生達の模擬店に並んでブースを確保しました。
どなたでも参加出来ますので、是非いらしてください。
通信47号では、お若い倉光優さんの新鮮なレポートを紹介出来ました。
優さんの貴重な体験は、きっと彼女の将来の夢に繋がっていくことでしょう。
バザーの準備で忙しくなってきました。
今年もいい売上が出ますように!!!
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