ラリグランス通信 55号

** 2009.4.24. 発行 **



ネパール暦 2066年の正月を明日に控え賑わうカトマンズの街   2009.4.13. 撮影sonoko



第9回ネパール視察旅行を成功のうちに終えました。

カトマンズの様子は1年前とは変わりません。

変わった所といえば空港近くのリング道路が拡張工事にとりかかり益々埃がひどくなっていたことと

携帯のアンテナ塔がモティ邸のベランダから見えたことです。

あと食料品などの値上がりを嘆いておられました。

つまり、国の状況でよくなったところはありません。

でも、私達とネパールの友だちとの絆は年々強まり、愛と信頼を分かち合うことが出来ました。

通信55号 目次

 スカラシップの子供たちとの交流 
 W.E.P.(識字学級)のお母さん達との交流 
 編物プロジェクト
 その他の支援活動
 お楽しみ旅行はタトパニ
 あとがき



1. スカラシップの子ども達との交流


 奨学生の子ども達の家庭訪問は欠かせない行事です。変わらないアシャとシリステイの家。そして初めて訪問するシャルミナさんの女子寮、ビシャルの引越しした家、去年スカラシップに加わったアニタとラビンの家です。

 子ども達へのお土産は、文房具やTシャツと、今年もお母さんに500ルピーをあげました。教育費以外にはお金をあげていないので、年に一度の家庭訪問で生活費の足しとして渡します。

     

 今年は、子ども達の学芸会を計画しました。目の不自由なマドウさんシャルミナさんの歌と、アシャとアニタによるダンスです。私達からもゲームを準備しました。司会者はW.E.Pの先生、スビタさん。マドウさん達のエスコートはアニタさんが受け持ちました。子ども達が1人ずつマイクの前で挨拶することから始まりました。

 学芸会では、タレントを発表する場を作ってあげることも一つの目的ですが、何よりもラリグランスクラブの子ども達相互の連帯感を持たせたかったのです。

演じる人も観客も一体となって楽しみました。

 

家 庭 訪 問

@



右手がアシャとアヌプ。

手前に祖母。

1年前と比べて家の中が随分きれいに整頓出来ていました。
アシャにそのことを告げると、とても嬉しそうでした。

おばあちゃんの顔つきも鋭さが消え優しい顔になってきて安心。 











A



シリスティと母。

教育費支援のおかげで店のローンが払えて、家の土間をきれいに修理出来たと喜んでいました。

シリスティは大人っぽくなりました。

シリスティが他の子どもと馴染まないのが少し心配。

















B


去年から奨学生に選ばれたラビンと母親。

ラビンの家は、世界遺産に選ばれたバクタプールの街内にあります。

狭くて暗い集合住宅で懐中電灯で階段を照らしながら部屋を訪問しました。

お母さんの熱心な要請で奨学生に選びましたが、ラビンは今、やる気をなくしているようで心配。











C

去年奨学生に選ばれたアニタの家を訪問しました。

スラムの住宅が密集する劣悪な環境です。

その中でアニタの笑顔は輝いていました。(後列左がアニタ。右隣が母親と5ヶ月の弟。前列左がモティさん)

勉強が好きで学校へ通えるようになって本当に嬉しいと言っていました。

翌日、ダンスを踊るのも楽しみだと言ってくれました。










D


写真はビシャルのお母さんの働いているところ。

ビシャルはお母さんの仕事の関係で学校も変わり住居も変わって心配していたが元気いっぱいでした。

絨毯を織るお母さんの会社と住居が同じ建物で安心。

ビシャルもお母さんもとても健康そうで嬉しかった。

お母さんが結婚したというので驚きました。

夫は外国に出稼ぎに行っているとか。






E

   



去年から奨学生になった目の不自由なシャルミナさんの寮を訪れた。中央列右から2人目が、シャルミナさんで左から二人目がシャルミナのお姉さん。お姉さんも目が見えません。しっかりもののお姉さんと同じ部屋で安心出来ました。

この女子寮は、半分は健常者で半分は目の不自由な人のための寮です。助け合って生活しています。

右の写真は、シャルミナさんのベッド。掛け布団を写真のようにきれいな形に折りたたんでいます。

子 ど も 達 の 学 芸 会

場所はアシャたちが通うSurya Deep Higher Schoolの多目的ホールを、校長先生が提供してくださいました。お礼にバスケットボールとバドミントンセットを進呈。

司会者は、ダディコットのW.E.Pの先生、スビタさん。目の不自由な仲間達のお世話をアニタちゃんが担当。
子ども達が1人ずつ自己紹介をすることから始まりました。

ラリグランスクラブが支援している仲間達とその家族とSurya Schoolの生徒達が一同に集まって楽しみました。通う学校が違っても気持ちは一つになり、仲間達の絆が強まり大変意義深く楽しいイベントとなりました。

@挨拶・・・ 左からアシャ アニタ ビシャル
    

A盲目の少女達の歌




(右からシャルミナ、マドウ、2人のクラスメイト)

 「目が見えないという3人の歌声に、感動で胸がいっぱいになった」と、Surya Deep Higher 学校の校長先生が話してくれました。

マドゥたちの学校は,Namuna Machindra Schoolです。












Bダンス−1
  

アニタと少年のダンスは見事で、拍手喝采!観客を圧倒させました。二人はContinental Academy Schoolの同級生であり、去年のダサイン祭りの時選ばれて学校で踊りました。
驚いたことにこの少年は、盲目のマドウさんの弟でした。


   

 ダンスー2
アシャの可愛い姿に観客はどよめきました。衣装はタマン民族の衣装です。(貸衣装)
ダンスは「私はまだまだ子どもです」という意味のダンスだそうですが、艶かしいオーラに驚かされました。
   

私達が用意をした「これは何でしょう?」のゲームは会場が狭いのに観客が多く、すっきり問題を出せずちょっと残念でした。でも「だるまさん落とし」には、挑戦希望者が続出し、大いに盛り上がりました。

賑やかに学芸会が終ったあとは、近くの茶店で、出演者やその家族、関係者にお茶とクッキーを振る舞い、みんなで労をねぎらい喜び合いました。


2. W.E.P.の お母さん達との交流

スビタ先生 と クマリ先生  <タマン村にて>

  識字クラスを訪問

@タマン村のW.E.P

識字教室は夜開かれますが、タマン村へ夜行けないので、仕事が始まる前の午前8時半に教室を開いてくださいました。部屋は生徒の家の1室を提供してくれています。村人も子ども達もとっても明るい表情です。

    

Aダディコット村のW.E.P.

この1年で生徒のレベルは上がり、中でも作文と詩を書いて発表してくれたお母さんがいて驚きました。
日本からはクイズなどのゲームを用意していたのですが、難しくてこれは失敗でした。
学級参観なのだから、日頃のお母さん達の勉強振りを見るだけにすべきでした。反省!

   

ダディコット村                                   自作の詩を朗読してくれた

   W.E.P.合同ピクニック


記 念 撮 影              

   

今回のW.E.P.のお母さん達との交流は大変意義のある交流となりました。

これまでは、各W.E.P.と私達渡ネ団との1対1の交流でしたが、今回はタマン村とダディコット村の識字クラスのお母さん達同士の横のつながりを高めることを考えました。

特にタマン村の人々はダディコット村から交通手段は歩くだけで、当然村人だけの世界に閉じこもりがちで、村を訪れた外国人は私達が初めてだったとか、、。

タマンのお母さん達は、ピクニックというのにも行ったことがなく11日のピクニックを大変楽しみにしていてくれました。

ピクニックでの食事作りは、段取りをダディコット村が考えたことでもあり、ダディコット村の人々中心になりがちでしたが、タマンのクマリ先生が積極的に動き、食事の後片付けではタマンのお母さん達は率先して働きました。

食事のあとのゲームでは、タマンの人もダディコットの人も一緒になって興じ、ダンスや歌でも共に楽しんでくれました。

ダディコットのサビタ先生とタマンのクマリ先生がお友だちで、クマリ先生の方が先輩だったことも、交流がうまく捗った理由でしょう。

これからは、仲良しになることだけではなく、ライバル意識も持って、さらに勉強に意欲を持って欲しいと思いました。

私も負けずに、来年は自分の名前を黒板にネパール語でかけるように努力しようと決心しました

     
 鶏肉を切るクマリ先生(水色のクスタル)                  かまどの火はいとも簡単に、、、。


     

    
   子どももダンスが上手                            足につけた風船ワリのゲームです。
   


 3 編物プロジェクト

今回、26Kgもの日本国産羊毛100%の毛糸の寄贈がありました。

色が淡いパステルカラーですので、ラリグランスクラブで作ってきた製品をそのまま作って
お客様に気に入っていただけるか予測がつきません。

私達がカトマンズに滞在中に試作品をつくっていただきました。
毛糸の品質が良いのでとてもレベルの高い製品が出来ました。

写真を見ると色から見てベビー用のように見えますが大人用の大きさです。
ベビー用には最近では洗濯のきくタオル地やフリース地が求められウールは敬遠されます。

秋のバザーまでに20枚オーダーしてきましたが、売れるかどうか心配です。

    
試作品のケープ                                     編み手さんと相談するサンタさん


 4 その他の活動

1.ラリグランス保育園支援



本年度は、定額の保育園の家賃と食料補助の他に、先生1人分の給料を支援することになりました。
家賃は、月6000ルピーから6500ルピーに値上がりしました。


今回はその16万円の他に、粉ミルクと日本で買ってくださった粉ミルク代金1万5千円を、特別に食料補助としてお渡ししました







2. チェタナ婦人学校支援


写真は、春休み中だったので、生徒の姿はなく、先生が休日をおして集まってくださいました。

チェタナ学校には、今年も先生1人分の給料を支援します。

沖縄の「虹の会」(代表・潮平幸子さん)から、ネパールの婦人の自立のための支援活動をしたいとの相談を受け、今回チェタナ学校にご案内しました。

潮平さんは感銘を受けられて、帰国後メンバーの方たちと相談され、、「虹の会」も先生雇用のために協力されることを決められました。

双方の橋渡しが出来てよかったです。






3.ジョティ・キラン保育園

2年前から、ノートルダム修道女会が運営しておられる、ゴダヴァリのジョティ・キラン保育園の運営費を、支援者から預かり橋渡しをしています。

去年は40万円をシスターミリアム金谷に手渡しました。今年は30万円でした。


 5 今年のお楽しみ旅行

毎年、ラリグランス活動から離れてお楽しみ旅行をします。去年はインド旅行でした。

今年は、ネパールと中国との国境のゴダリにタトパニという温泉地があるというので出かけました。

参加者は、ラリグランスから4人とモティさんのファミリー3人の計7名でヴァンをチャーターしての1泊旅行です。
出かける当日はバンダだったため道路は空いていて快適なドライブでした。

タトパニには、きれいなホテルがないので30Kmほどカトマンズよりのリゾート地に宿を決めました。
そこは、バンジ−ジャンプで有名でそのためのホテルです。客室は森の中に点在するテントです。
バンジ−ジャンプは高度160メートルもある吊り橋から谷に向かって飛び降ります。
何とメンバーのS君とSさんが挑戦しました!

飛び降りたころから大雨が降り、道路が決壊しタトパニ温泉には行けず、道路補修工事が翌日には終るよう祈ってその日はサウナで我慢しました。

翌日は2箇所ほど歩かされましたが無事にタトパニ温泉につかり、中国との国境にも足を運ぶことが出来ました。
   
     森の中のテント                        この谷に向かってバンジ−ジャンプ!

  
    決壊した道路                                 街道筋の村

     
  タトパニ温泉(個室があるのに気付かず外国人は引き上げたようでした。)         44度のお湯でゆだってしまった女性4人

   
 中国とネパールの国境ゲート                   やっと姿を見せてくれたヒマラヤ

今回の旅は、カトマンズから離れ、空気のきれいな自然の中で、癒しと興奮というエキサイティングに溢れたとても印象深いものになりました。



 6. あ と が き

ネパール訪問は毎年1回。今回は10回目の渡ネでした。

回を重ねるごとに、義務感が強くなってきて、楽しめる部分が減ってくるため、何事にも飽きっぽい私は、いつもエキサイト出来る新しいイベントを考えて、旅を楽しめる工夫を凝らします。

今回の旅の目玉は、スカラシップの子供たちによる学芸会と、W.E.P.の2教室合併ピクニックでした。

両方とも想像していた以上の成果がありとても満足できました。が、私にとってそれよりも大きなインパクトを得たたことは、4人の若者たち(20歳から30代半ば)の参加でした。

みなさん個性豊かで、未熟で、てんでバラバラの考えの持ち主で驚かされましたが、それぞれが「自分探しを真面目に求める旅」だったことは、みなさんに共通しているなと思いました。

私達シニアは、これまで幸せに生かせてもらった恩返しのようにボランティアを見がちですが、若者達はこれからの人生に、この体験をどう生かしていけるのかを、探り出し体験することを求めていました。

そしてみんなが口々に「いい体験をした。これからの人生に生かせたい。」と言っていたのが、とても新鮮で、羨ましいとさえ思いました。私にはもう体験を生かせるだけの人生が残っていませんもの。

S君が、「ボランティアをしようと希望してネパールに来たのに、ボランティアしてもらうことばっかりだった」とつぶやき、シュンとしていたけれど、その思いは、毎年私自身も感じる共通の思いです。

ボランティアというのは、世話をする人される人の関係でなく、「共に生きる」ということであり、今回彼の言葉はそのことを表しています。

これからも、これをご縁にシニアとジュニアで仕事を分担しながら楽しく活動できればいいなあと思ったことでした。

老いも若きも日本人もネパール人も、共に生きるってことですよ。

ホームページ作成 五十嵐園子
ホームページアドレス http://laligurans.com/
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名義:ラリグランスクラブ
00960-7-244821

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