ラリグランス通信(つうしん) 67号

** 2010. 5.3. 発行 **



山を赤く染めあげる赤い石楠花ラリグランスの花(東ネパール・バサンタプール於て)        2010.4.  photo by SONOKO



ネパール視察旅行を終えました。

相変わらず混乱が続くネパール。

大気汚染には慣れませんでしたが毎日10時間以上ある停電にはすっかり慣れました。

バンダ(交通ストライキ)の合間をくぐりぬけ無事に楽しく旅を終えました。

本号は実りのあった視察旅行の報告です。


(もく)  次()

 1  スカラシップの子ども達との交流

五十嵐園子 記
 2
  ナラ村ツクチャE.P(Education Program)訪問

久堀洋子 記
L.S.G (Laligurans Sewa Griha)設立計画と頓挫の経緯
 4
お楽しみ小さな旅 (タライ平原と東ネパール)

 5
5月2日ネパール政情危機 速報   モティ・ギミレ 記
 
あ と が き



スカラシップの子ども達との交流


< 集まった奨学生(ルパック、シャルミラ、マドゥ、アシャ、アニタ、シリスティ、ビシャル、アヌプ、ラビン)とその友達と家族と私達スタッフ >

スカラシップの子ども達と1年ぶりに会って、成長ぶりを直に見ることが出来るのは、この旅の一番の楽しみでもあります。

今年も一堂に集まって小さな交流会を開きました。

会場はパタンの近く。子ども達の家から随分離れているので、朝からモティさんは子どもをバクタプールまで迎えに行き連れて来るのに大変なご苦労をされました。おかげでネパールには珍しく予定通りの1時半に全員が集まりました。スカラシップの子ども達と、その家族や友人です。



今年の会場は、視覚障害者のマドゥさんの通うナムナ校の近くにあるお寺のホールで行われました。


ナマナ校の音楽のプレム先生がセッティングしてくださいました。

先生は、去年音楽の勉強が忙しくなり続けられなくなった視覚障害者のチリモャ先生に変わって、ラリグランスがナムナ校に招へいしました。


先生は献身的に視覚障害者のために音楽指導をしてくださっています。






モティさんの娘のアヌちゃんが司会進行係りです。

まず、子ども達の自己紹介から始まりました。去年マイクの前でしどろもどろだったビシャルやアヌプもはっきりと名前を言うことが出来ました。しかも英語でです。

音楽会は、シャルミラさんとマドゥさんも交えた視覚障害者のグループのネパール民謡ボーカルから始まり、子ども達のダンスが、歌と交互にありました。

    

上部写真は左から司会のアヌちゃん、ボーカルのシャルミナさんとマドゥちゃんと友人。


     

    


写真は、上段左からビシャルの従姉妹、アニタ、マドゥの妹、下段マドゥの友人盲目の少女、アシャ の ダンスです。



感動と共にプログラムがすすみ最後はみんなでゲームの始まりです。

このゲームは、みんなで輪になり♪ファイヤリング マウンテン ホッホッホッ♪と歌いながら駆けまわり、リーダーが叫んだ数字たとえば5と言うと5人ずつかたまって集まります。はぐれた者は輪から抜けるというゲームです。

それはそれは大騒ぎ。人数が足りなくて他のグループから剥ぎ取る者。しがみついて離れない者。笑いと叫びが飛び交い大騒ぎで、凄く盛り上がりました。



  




大笑いのなか音楽会は楽しく終わり近所の茶店でコーラとクッキーを振る舞い解散しました。・・といっても送り届けるのもまた大変でしたが。



ラリグランスクラブが関わっている奨学生達は視覚障害者であったり居住地が離れていたりカーストが違ったりで、仲間意識を育てるのはとても困難です。

でも、私達はなんとかみんな仲良くなってくれることを願い、今年もそのために計画を練りました。特にモティさんは大奮闘してくださいました。

モティさん。本当にご苦労様でした!!




ナタ村ツクチャ新EP訪問記

久堀洋子 記 (photo by SONOKO)

4月1日、よく晴れた日、カトマンヅから約30キロ離れたナラ村ツクチャに到着。車を降りて教室となっているルースさんのお家まで、細い道を上り下りして、10分ほど歩きました。ここには30件ほどのダリットの家族が住んでいます。「あれは、男先生のおじいちゃんですよ」「この人が、ルースさんのお母さんですよ」と紹介してもらい、挨拶をしながら歩きます。教室として提供しているルースさんのお家の前には、大きな牛がで-んと横たわっています。すこしづつ生徒さん達が集まってきました。

2人の先生の熱血指導!の授業参観    

 16人の生徒のうち15人が狭い部屋にぎっしり!座っています。和やかな中にも熱気が感じられます。隣に子どもを座らせているお母さんもいます。まだ、スタートして3カ月なので、1~100までの数字とネパール語のアルファベットを勉強したばかりだそうです。

先生は男性のシャム・マング・ラムテルさん。何と19歳!今までWEPの先生は皆さん女性だったので、新鮮な感じがします。

今日の授業は、今までの復習です。細長い黒板に書いたアルファベットを生徒に当てながら、読ませます。次に、生徒が前に出てきて、先生に言われた文字を黒板に書きます。次々に生徒に当てて、テンポ良く授業を進めていくテクニックはさすが!です。最後に先生が言うアルファベットを生徒が各自ノートに書きます。もう一人の女性の先生とルース先生が、出来た生徒のノートをその場でチェックしています。そのあたりの連携プレーもなかなか鮮やかです。しばらくして、先生が黒板を裏返しにしたら、そこに「正解のアルファベット」が書いてあって、びっくり!完成できなかった生徒はそれを見ながらチェックしています。先生の準備の良さ、段取りのよさも驚かされました。

なかなか良い授業を見せてもらったな、と思ったら、次は女性の先生の登場。フロンジータ・ラムテルさん。同じく19歳。「私の授業もみてください」と言う迫力にこちらも気圧されそう。授業はネパールの単語の勉強。先刻と同じように、黒板の単語をみんなで読み、1人づつ前に出てきて黒板に書き、先生の言う単語を自分のノートに書くという順番。こちらもとても密度が濃くて、素晴らしい!

     

 授業のあとの質疑応答で、「勉強ばかりでなく、先生から掃除の仕方などをおそわって、清潔にすることの大切さがわかった。」と言ったお母さんの言葉に感動を覚えました。

男性のシャム先生のお父さんも生徒の一人です。お父さんは、コミュニティの世話役をしていますが、他の村との合同の会議などに出席することが多々ありますが、勉強してから会議の内容がよく分かるようになった、と言っていたのも印象に残りました。

ピクニックへ!

授業が終わって、近くの山へピクニックに出発です。それぞれ水入れや、お鍋、お皿、野菜などを分担して持ちながら、山に登っていきます。途中、家々が緑の村に点在するのどかな風景に「いい景色ですね!」と私が思わず言うと、女性のフロンジータ先生が「私の家は、あそこです。ダリットですから、小さい家ですよ!」とさらり!と言われました。

山に着くと、もうすでに火をおこして、煮炊きがはじまっていました。男性の姿もちらほら。

「あみだくじによるプレゼント」

 昨日モティさんの息子のアキオくんが、コピー用紙を貼り合わせて用意してくれた白い大きな紙にあみだくじが書いてあります。


赤いマジックで、五十嵐さんが線を辿っていきます。最初の生徒さんは「櫛と髪留め」があたり、大喜び!


みんな意味がわかってきて、最後に番号が読み上げられて、賞品が分かるたびに、大歓声!


シャム先生、フロンジータ先生も、初めはあみだくじの上をそろそろなぞっていましたが、だんだん慣れて、早くなってきました。「ポーチ」も大人気で、どこの国の女性も一緒だなあ!


あたった賞品を交換している母と娘もいて、成る程!

毎年する「あみだくじプレゼント」は大好評!です。



「ファイヤリング マウンテン」

次はルース先生のゲーム「ファイヤリング マウンテン」です。生徒のお母さん達が輪になって、「ファイヤリング マウンテン、フォ、フォ、フォ!」と言いながら歩きます。ルース先生が「3」といったら、3人で、「5」といったら5人でグループをつくります。グループが出来なかったら、失格で輪の外に出ます。

 ところが、これが大混乱!かけ声をかけて歩くところから、お母さん達は大笑い!上手く歩けなくて誰かがこけたら、それでまた大笑い!数字をいわれても、そんなルールにお構いなく沢山で抱き合ったり、他所のグループから人を引っ張ったり、もうめちゃくちゃ!ルース先生がいくら説明しても、混乱は収まらず。見ている私たちも、何故か、もうおかしくて、おかしくて、大笑い!でした。

「ピーナツ 早食い競争」

 盲目のとても明るい男性、音楽の先生発案のゲーム。


袋一杯のピーナツをつかんで、生徒のお母さんの前にひとつかみづつおきます。


数も数えなくていいの、何と適当な?


「よーいどん」でから付きピーナツを食べます。食べ終わったら、どうするのかな?と思ったら、なんとその男性に向かって、猛ダッシュ!抱きつき?にいき、順位を決めるわけ。


お母さん達のパワーにはもうあっけにとられました。







 

「壷割りゲーム」

「スイカ割り」のスイカが壺に変わったものです。土器の壺なんて、割れるのかな?

 ところがお母さんが一撃のもとボカーン!やんやの喝采です。

 次に割れた壷をもう一度さかさまに置いて、シャム先生のお父さん登場。でも、壺からどんどん離れて、棒を構えています。周りから、色々野次が飛びます。と、壺の辺りに上手に接近、ちょうど良い距離で、一撃!見事に壺は割れました。

 ちょっとうますぎるなあ!どうも目隠しの下から見えていたらしいという声が、、、。
 

   

「いよいよランチタイム」

 金属製の大きなお皿にご飯を山盛り!カレーをかけて、タルカリ(おかず)やアチャール(漬け物)も沢山入れて、お母さん達はぱくぱく!食べています。




あっさりした味付けでなかなか美味しいですが、私も五十嵐さんも彼女たちの半分も食べられませんでした。



お代わりするお母さん達もたくさん!あんな痩せた体のどこにはいるのかしら?









 

「食後のおきまりの歌とダンス」

 初めは先生とお母さん達の歌です。サンタさんが「替え歌になってますよ!」と教えてくれました。メロディーに新しい歌詞を付けているんだそうです。例えば、「さあ、窓を閉めて、一生懸命勉強しましょう」という具合に。フロンジータ先生、なかなかやりますね!

 それに合わせて、ダンスも始まりました。さっと出てきて、手や腰の動きも鮮やかにダンスを披露するお母さん達!楽しそうだなあ!でも、苦手そうなお母さんも。しりごみするお母さん達を先生は上手につれだして?一緒に踊りに誘っています。勉強ばかりでなく、こんなところでも先生は生徒達を指導しているんだなあ!

 ダマル(太鼓)や横笛、ギターも加わって、歌もダンスも大盛り上がりです。

    


お母さん達にとって、ピクニックは初めての体験だったそうです。

みんなハレの日に着るとっておきの赤色のサリーを身につけ輝いていました。

ネパールの国花のラリグランスも少し咲いて華を添えてくれました。

 




LSG設立計画と頓挫のいきさつ


(1)ネパールの教育事情とラリグランスクラブのスカラシップ・プロジェクトの取り組みについて

ネパールの教育は、5年生までが義務教育で公立校では授業料無償。6、7年が中学校(有償)。8、9、10年が高等学校(有償)。

10年生が終わるとき高校卒業検定試験(SLC)が全国いっせいに実施されます。

貧富を問わず、カーストを問わず、私立校公立校いっせいに平等に同じ試験を受けます。視覚障害者は別室で点字の試験用紙で受けます。

SLCの合格者は新聞全国版に発表されます。

取得点数は一生ついて周り、例えば履歴書のようなものには必ずSLCの成績を記入しなければならないのです。

10年生のあと11、12年(プラス2とも言う)又は専門学校や大学への進学はその点数によって受験学校が限定されてきます。

家が貧しく教育から見放され10年まで進学できなかった子どもは、当然SLC試験も受けられず安定した仕事には一生つけません。SLC試験に合格できない子どもも同じです。

公立校の勉強はレベルが低く、公立校育ちではSLC合格点を取るのは大変困難です。

それで、ラリグランスクラブでは、生活困窮者の子どもや虐げられているダリットの子どものうち能力ある子どもを、私立校に進学させSLC試験合格に導こうと5年前からスカラシップ制度を始めたのです。

他に、困難な生活の中からSLC試験に合格したにも関わらず、進学したくても学資がなく、又仕事が見つからず困っていた2人の少女(ルースとスビタ)に出会い学資の支援をしました。二人はそれぞれCMA(Community Medical Assistance)を目指す学校に通い検定試験に合格しました。

ルースさんは、資格を生かし孤児院で働けるようになり自立の道を得ることが出来ました。元気いっぱいです。

スビタさんは、CMAのあとH.A. (Helth Assistance)の学校に通うことを希望したのでクラブではサポートを続けることにしました。

又他に3人の視覚障害者との出会いがありました。最初に出会ったマドゥさんには将来音楽の道で自立できるように彼女の通うナムナ校に音楽の教師を雇い入れました。ルパックは教育支援を受けてからぐんぐん成績を上げ来年のSLC試験には高得点が期待できるほどの成績をあげています。シャルミラさんはマドゥさんの友人でナムナ校からSLCを受験し合格したけれど、さらに11年12年で学びたいために学資の支援を求めてきたのでサポートしました。彼女は今年そのコースが終わりさらに教師資格の勉強がしたいと望んでいるので支援を続けることになっています。

(2)スカラシップの子ども達の自立のための道を確実なものとするためにホステル(寮)の設立を考える。

これまでのスカラシッププロジェクトの経験から、特に視覚障害者たちの自立のために、SLC試験を合格したあとの支援がさらに求められていることが分かりました。

ネパールには盲学校はなく、彼らは健常者と同じ学校で学ばなければならず、そのためには学資だけではなく住むための寮など特別のサポートが必要とされています。それでラリグランスクラブで視覚障害者のための自立の支援として視覚障害者が住むための寮と学資を提供できるようにしたいと考えました又、健常者で寮に住むことになった子どもも視覚障害者を助け共に助け合って暮らす寮となることを望みました。

寮の名前も決めました。「LSG:ラリグランス セワ(介護) グリハ(家)です。規約も作りました。予算もしっかり立てました。

先ずは借家を探すことから始めました。同時に寮母となるマネージャーやヘルパーが必要です。そのためにスビタさんが最適任者と本人の同意も得て考えていました。

スビタさんはHAの学校に自宅から通うために1時間半もの時間をバスを乗りついで苦労して通学していますので、寮母として学校に近い寮に住み、通学するのが最適だと考えました。そしてスビタさんを手伝い、障害者たちへの手助けや寮の整理整頓のヘルパーとしては、スカラシップの子ども(アニタ)を住まわせてお手伝いをさせ、学校の勉強がしっかり出来れば1石2鳥ではないかと考えました。

音楽の先生の紹介でとてもステキな借家が見つかりました。私達が住みたくなるような見晴らしの良い高台にあり、シャワー・トイレ・キッチンが備わった素晴らしい家です。

ところがここにきて、思っても見なかった大問題が発生

スビタさんがマネージャー役をしり込みしたのです。その上、劣悪な生活環境に住み健康も害し勉強にも支障をきたしている奨学生のアニタが家から離れるのは絶対に出来ないと拒否しました。
スカラシップの恩恵を受けて、クラブに感謝し、いつかは人のために役に立つことをしたいと口々に言っていたのに辞退です。

こんなに理想的ないい話なのに何が彼女らを躊躇わせ足止めしているのだろうかと考えさせられました。

色々考えて考えて、、。多分こうかもしれないなあという訳が分かったような分からないような、、、。
でも、どんな良いと思う計画も ‘当事者が望まないことは実行出来ない’というのが私達の考えです。
ボランティアグループが陥りやすい「親切の押し付け」という罪を犯さなくて済んだ事を神に感謝しました。

という訳で、施設設立計画は延期となりました。


2010年度のラリグランス活動は、2009年度と変わらず、スカラシップの子ども達を見守り育てること、識字クラスの充実、視覚障害者への支援の3点をしっかり守っていくことになりました。





お楽しみ 小さな旅

ネパール視察旅行のなかに毎回入れている「小さな旅」をいつも楽しみにしています。

今年は、これまで ‘治安が悪そう、、、’ということで敬遠していた東ネパールに行くことが出来ました。
4泊5日の旅。移動はモティさんのタクシーです。(モティさんはタクシーのオーナーです)。
運転手さんは顔なじみ。実費だから超お安い!
という利点を最優先にして4人乗りに5人(運転手・モティ夫妻・久堀・五十嵐)はきついけれど決めました。

日本のきれいなタクシーを想像しないでください。ネパールで走るごくごく一般的なタクシーです。
ネパールのタクシーは廃車を仕入れてきたとしか見えないスズキ軽自動車が多いです。
クーラーはありません。窓は手動です。シートはぺちゃんこです。室内は埃にまみれています。

でも平気。運転手さんは顔なじみ!楽しい楽しいドライブの旅です!

旅の途中でラジエーターが破れ水が漏れエンコ。部品をカトマンズから夜行バスで取り寄せるというアクシデントが起こったのですが、
代車でチャーターした車がバンでおんぼろでしたがゆっくり座れてやれやれ。
実のところ暑さと埃で死にそうになっていた女性陣。生き返りました。私達には必要なアクシデントでした。

そこかしこに思いがけない出会いがあり、感動に溢れた良い旅でした。
還暦もとっくに過ぎたおばばが二人、こんなハードな旅の経験が出来たなんて夢のようでした。

  ジャナクプール
カトマンズからムグリンを南下し、ヘタウダから、ネパールの農作物を一手に担うタライ平原上に延びるマヘンドラハイウエイを東に向かって突っ走り、ジャナクプールまで約300Kmやってきました。地球温暖化の影響か連日の日照りで河川は干上がり大地は茶褐色で水を求めて歩く人々の姿が目立ちました。カトマンズから10時間。ここで1泊。

ジャナクプールの歴史は古く、紀元前1000年もの昔からインドを代表とする古代叙事詩ラーマーヤナにでも記述されているように、ロマンティックな町でインドやネパール人にとても人気のある所です。



中心にはネパールにこんな立派な!と誰もが驚く大理石造りの美しいジャナキー寺院があります。



隣には大きな沐浴池があり巡礼者や参詣者の姿も見えました。



直ぐ隣にはラーマシータ結婚寺院があって、私達が行った2日前には、あの悪名高い前王ギャネンドラが結婚記念日といってお参りにいらしたそうでした。











またこの一帯は古くからミティーラ地方と呼ばれ、仏教の開祖ゴータマ・ブッダの活躍した地域でもあります。


13世紀ごろにはヒンドゥー文化が栄え、中でもミティーラ文化と呼ばれる独特の古代アートが現存しています。


ミティーラアートというのは3000年も昔からこの地方の女性たちが、慶事には家の壁に独特の絵を描き神様を迎え入れる習慣があって、現在はそのアートが紙や布や陶器に描かれ民芸品として活躍しています。











  ダランとヒレのあいだにある ラジャラニ 




ジャナクプールからマヘンドラハイウエイに又戻り東に向かって走りイタハリから北に進路を変えます。

そこから約20Km。
タライ平原とヒマラヤに続く山岳地帯の境界上にダランの町があります。


そこからさらに次の宿泊地ヒレに向かって北に車を走らせていたときに車がエンコしました。それでヒレには行き着かず別の車を急遽ダランでチャーターして、ラジャラニという山の中腹にある小さな村で1泊することになりました。

写真はその村の全貌。正面の丘の上には展望台がありイギリスのチャールズ皇太子が寄贈したとのことです。
ヒマラヤが見えるらしいのだけれど霞でまったくみえませんでした。






そこにあったホテルに飛び込みました。
人のいいオーナーが出てきて、ウエルカムウエルカムと大歓迎。

今改造中だけれど、畑で作った無農薬野菜で作るオーガニックホテルとして開店する予定とのこと。
着いたのが夜で停電でよく見えなかったのだけれど、夜が明け朝になって見てみると本当に工事中のホテルでした。
いたるところに電線やパイプやレンガなどがゴロゴロ。食堂の壁は未完成で足を踏み外すと10mは谷に落ちる危険がありました。
客室は、関係者が泊まれるようにしていたゲストの部屋だったような感じ。

でも朝食は、おしゃれ!今回の旅中一番の美味しい朝食でした。

写真はおしゃれな1プレート朝食。そば粉クレープ・ゆで卵・新ジャガイモハーブ炒め・フレッシュ野菜・フルーツ・ヨーグルト・ケーキ
小瓶にかざったナスタチュームの花がオーナーの心意気を表しています!





バサンタプール

ラジャラニを早朝に発った私達は有名なヒレの町を通り過ぎ一路バサンタプール(標高2000m)に向かいます。
ヒレはマカルー(標高8463m)に通じるトレッキングのベースになるところで、何よりもネパール1美味しいといわれるトゥンパがあります。
トゥンパはチャンというドブロクのようなお酒の容器のことをいいますが、なかなか珍しく美しい容器で見てみたいと心ひかれたのですが、バサンタプールにもあるあるということで路を急ぎました。チャンは炊いたシコクビエに麹を加え1週間以上寝かせて発酵させたお酒です。

辿りつたバサンタプールは空気もよくとても涼しくてステキ!
チベットから移ってきた住人で出来た町といえるだけあって、まわりはみんなチベットの民族衣装を着たチベット系の人。

小さな街道沿いに並んだ小さな家屋はとことん質素。薪で煮炊きするので煤だらけだけれど笑顔はみんな素朴で美しい。
そこで決めたタブレジュングというホテルもチベット風。お料理もチベタン。

そしてトゥンパが!ウッ!甘酒のような味。おいし~!ここのトゥンバは先代のお爺さんが集めたという時代物。
真ん中の棒がピパというストローになっていてそこから吸いあげて飲みます。なくなったらお湯を足します。

モティさんはそのまま。女性陣はお湯割りで飲みました。

      

翌日はいよいよ今回の旅のハイライト。ネパール随一のラリグランスが茂る山の登山です。標高は約2800m。2時間の登山。

行きかう人々は家族で。又は夫婦で。又は友達と。みんな山頂のパシブハラ寺を目指して登ります。
みな何かのお供えを携えています。
編んだ竹篭には子豚が、、。お供えの子ヤギを連れた一族もいます。

「あんたたちは何故登るのか?」と聞かれて、「ヒマラヤの展望を楽しみに、そして、ラリグランスの花を見にきました。ヒマラヤは雲に隠れて見えないようだからラリグランスだけを眺めて帰ろうかと思います。」と答えると「え~っ!そんなもったいない。ここに来ると決めたのは神様がお招きになったんじゃよ。お寺まで行かなくっちゃ!」といわれ、にわかにその気になって頑張りました。

ある赤ちゃんを交えた15人ぐらいのグループは、「2年前無事に赤ちゃんが産まれますようにとお願いに登りましたが、無事に産まれ健やかに育っているのでお礼にきました。」とリーダー格のおじさんがニコニコして説明してくださいました。爽やかな笑顔の彼は子ヤギを連れて、そして、子ヤギを屠るためのククリを腰にぶらさげていました!

あえぎあえぎ到達した頂上の素晴らしいこと!涼しい!ヒマラヤは姿を見せませんでしたが人々の暖かい心に触れさせてもらってヒンズーの神様にすなおに頭をさげお礼を申し上げました。

そして何よりも山を彩る赤いシャクナゲ!ラリグランスの見事なことといったら言葉になりません。私達のクラブの花ラリグランスが燦然と輝き私達を祝福してくれているようでみんなで感動しました。 

    


   



 イタハリ

ご機嫌で登山を終えた私達は、もと来た道ダランに向けて南下。そこには修理を終えたモティさんのタクシーが待っています。ダランで車を乗り換えたあとまだまだ南下して、イタハリという町に着きました。

暑い!!3000mから一挙に300mまで下ったのです。

暑い!砂埃だらけ。とにかく「熱いシャワー出てクーラーの効いたホテル」を探してくださいと、わがままを言う日本人の二人。
熱いシャワーに冷たい部屋?日本人て変なこと言うんだねえ。」と嫌味を言われながら居心地の悪いホテルに1泊。
町は若いマオイストを満載したバスが20台以上も次々と通り過ぎ何やら不穏な雰囲気。
町の人々はチベッタン系から急に顔つき険しいインド系。

    

     
写真左から、・埃のイタハリの町、・頭に荷物を乗せるインド系の婦人、・牛乳と砂糖を4~5時間煮詰めてキャラメルのようなお団子状のお菓子を作っているところ。タライ平原の名物とかで子ども達の大好物と言ってサンタさんはお土産に買っていました。・スイカとパイナップルをお土産に選ぶサンタさん カトマンズの4分の一の値段とかで10個もお土産に。とても美味しかったです。壁のミティーラ壁画に注目。

翌日一路カトマンズへ向かいました。ムグリン経由は100Km程も遠回りなのでダマン経由の山道を使いましたが、道が悪いので結局時間は往きと同じぐらいかかりました。


写真はダマン(標高約2000m)の峠に咲く野生の白いラン。

イタハリから12時間ぐらいかかって懐かしいモティ家に戻りました。  <完>



5月2日 ネパール政情危機 速報

モティ・ギミレ 記

ネパールの政治危機 [翻訳:久堀洋子]

121回目のメーデーで、首都カトマンヅや主要都市から集まった人々は「騒乱」を起こすと宣言している。カトマンヅ郊外からゼネストに参加するため、人々が続々とカトマンヅ入りしている。5月2日から、「無期限ゼネスト」が予定されている。この日から、商店、学校は閉鎖、車も通行禁止となる。

 主要反対政党マオイストは、現政権の連立政府に対して、首相の辞職を要求しているが、ネパール会議派と統一共産党はそれを拒否している。その2政党は首相の辞任の前に、マオイストに対して、戦闘員の管理をきちんとするよう要請している。しかし、マオイストの副書記長のバムラム・バッタライはこういっている。「過去3年間、問題を何一つ解決出来なかったこの時に、どうやって時局を打開出来るのか、出来るわけないではないか!」

 マオイストは、ストライキという手段で政治の流れを変えようとしている。政府が平和プロセスを通して解決しようとすることに対して。ネパール国民は政治家達の闘争のあおりで、多大の被害を被っている。ネパールの政治はとても危険だし、悲しい状況である。これは大きな闘争へ突入する可能性がある。学校や大学は、1週間休校となった。遠くからきたマオイスト達が滞在のためにそれらの建物を占拠しているのだ。5月28日に発布される予定の憲法は、とうてい批准出来ないだろう。我が国は混乱と恐怖のまっただ中にいる!

    

写真はモティさんの住むバネショワ地区の道路です。モティさんが撮りました。「この先ネパールはどうなっていくんだろう」といつもは楽観主義のモティさんも、電話の声は沈んでいました。「気をつけてくださいね」とお伝えすることしか出来ませんでした。

Political Crises In Nepal.

   The people from Kathmandu and other main cities of had came out with rally to mark the 121st Labor Day. The people from out the Kathmandu Valley are entering Kathmandu to participate in the demonstration. There is a declaration of indefinite strike from May 2, 2010. the shops, schools, vehicles are all closed from this day.
   Main opposition Party Unified Communist Part Of Nepal –Maoists (UCPN-Maoists) demanded prime minister Madhav Kumar Nepal’s immediate resignation for a national unity government but the ruling party Nepali Congress (NC) and (UML) rejected the maoist demand. The ruling party NC and UML said there must be  certain progress on the management of combatants before the prime minister’s resignation. But Dr. Baburam Bhattarai, Vice chairman of UCPN Maoists said “how can this be possible when the issue has not been settled for the last three year?” 
   Maoists are trying to put away the current government through the strikes while the government wants National Unity Government through peace process.

   The citizens of Nepal are suffering a lot due to the conflicts between the politiical leaders. The situation of Nepal is very critical and sad. There is a huge possibility of war in the nation. Schools and colleges have been shut down from a week. The Maoists from outside the valley are using these buildings for their stay.
    New constitution which was to be made on May 28 is almost confirm to be unsuccessful. The whole nation is in confusion and fear!


 


あ と が き

今回のネパール視察旅行の報告は いかがでしたでしょうか?

写真を楽しみにしてくださる方が多いので今回は多めに載せました。

LSGの設立が出来なくてがっかりしましたが時期尚早だったのでしょう。

設立のための予算を、今切実に求められている視覚障害者の奨学生を増やすことに回し

基本的には、これまで通りの活動を地道にしっかり歩みたいと思っています。

これからも変わらぬご支援をお願いいたします。


    
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