ラリグランス クラブ の 仕事 (ネパールで)
L.C.C(Laligurans Care Center) 視察 3月5日
1年ぶりの訪問です。
今年はいつもと様子が少し違います。明らかに雰囲気がよくなっています。
ポカラのジョティケンドラでの研修の影響が現れていると感じました。聞いてみるとくジョティで学んだバンディプールの先生からの影響>という事らしいですが、いずれにしてもモンテッソリー教育効果が出ていました。手作りの教材も増え工夫され整理整頓が行き届き子供達も受身の姿勢から自発的に考える方向に動いています。
慣例通り子ども達が拍手でもってお迎えしてくれて花輪を首に掛けてくれました。
歓迎の歌と踊り。そこまでは去年と同じですが今年は初めて頭を使うゲームが加わりました。
お土産のクッキーを食べる前には手を合わせ長い食前の歌(祈り)を声を合わせて出来ました。
レンタルルーム代金は今年から500ルピー値上がりし月に6000ルピー(10000円相当)となりました。4ヶ月分渡しました。
おやつの補助として15000ルピー(1年分)渡しました。
編み物プロジェクト 視察 3月5日
編み物プロジェクトはサンタ・ギミレさんの指導で順調です。
とてもきれいに仕上がるようになりました。
編む人も意欲的になりデザインなどの工夫や意見も出るようになってきました。
お金だけのために編む人は文句も多く、長続きしません。
現在はLCCの先生と園児のお母さんが続けていて雰囲気もとてもよくなりました。
若い女の子が一人新しく加わりました。
編み物プロジェクトの運営は、全てサンタ・ギミレさんに任せ会計もラリグランス口座とは別に作りました。
ラリグランスクラブはサポーターとして見守り日本で販売するGoodsはサンタさんから買う形にしました。
奨学制度に取り組む 2月28日
ネパールでは高校卒業国家試験SLCに合格それも高得点でパスできなければその後の人生に希望が持てない現実があり、教育に恵まれない子どものためにSLC合格塾を設立する準備にネパールに行きました。
カトマンズで多くの尊敬する体験者方にお会いし相談に乗っていただきました。(写真左は主に相談に乗って頂いたシスター川岡)
意見を伺った結果、箱(塾の場)を作るより先に生徒を決めるのが先決と分かりました。
それで貧しい子供達への奨学制度を考える事から始める事にしました。
サポートする児童を選ぶ時には
@ 貧しい家庭の子どもの家を実際に訪れ、そのような人々の生活の現状を直に知る事が重要。
A 両親が自分の子どもが勉強を続けていく事を強く望んでいるかどうか知る事が重要。
B 子どもが勉強が好きで学びたい気持ちがあるかどうかが重要。
C ケアをするのはなるべく小さな子ども(プレ小学校)から始めるのが良い。
という事を基準にするのが良いと分かったのです。
しかし私は勿論モティさんも極貧の人に心当たりはいません。二人で近くの公立校を訪れて条件に合う子どもを紹介してもらい近くの私立校に転校させその学費をサポートする事にしましょうか?と話し合いました。
それならば場所も教師も用意する必要はなく月謝だけのサポートでお金が掛かりません。
家庭訪問もしやすいです。
しかし先生からの紹介というのに何か問題がありそうです。
私たちで見つけ出すことが出来ないかしら?ともう少し時間をかけて考えましょうということになりました。
突然出現した奨学候補生 3月1日
翌日、バクタプールという世界遺産にも選ばれている古都の観光に行ったついでに、最初塾を設立しようかと考えたモティさんの土地を見に寄りました。そこは長閑な田園で小さな集落があります。
その時モティさんはトコトコ村に入り駆け回る子供達をとらえて話しかけました。「幾つ?」「学校に行っているの?」「家はどこ?」。男の子が「ここ」といったところの玄関先に人懐っこい笑顔の小母さんが髪の毛を梳かしています。
モティさんはこのお母さんから、この村の人々はタカリーという低いカーストの人々が多く差別を受け仕事はなく、生活は貧しく子供達を学校に通わすのは大変だとか話を色々聞きだしました。回りにいつのまにか人だかりがしてきました。
モティさんが次にこの中で一番みんなが気の毒だと思っている人はいますか?誰ですか?と尋ねると、みないっせいに一人の婦人の方を見ました。その婦人は子どもを4人産んだけれど一人は4歳で2人は生まれて3〜4ヶ月で死に今一人だけ残っている。その子も1歳半で心臓の発作をおこし手術しあと薬をずっと続けていて5歳になってやっと薬を飲まなくて良くなった。と話してくれました。
家に案内してくださいというと「小さくて恥ずかしい。私のところだけが泥を固めて造った家です。みなから爪弾きにされ誰も家に入ってきてくれません。」などと言いながら案内してくれました。
家の中は小さいながらもきちんと整理され小さな机のような台にはノートがあり英語のアルファベットが拙い字で書かれています。尋ねると公立校は遠く体の弱い娘は通えないので、すぐ隣の私立校に通わせているとのこと。子どもが死んだり手術や薬にお金が嵩み生活は苦しくあと何年学校に行かせることが出来るやら心配といいます。
そこで私たちが学費の援助をしてあげましょうかと聞くと目を大きく見開いて絶句!
ということでスカラシップ第1回奨学生にその娘さんシリスティちゃんを選ぶことにしました。
経験者の方の話から導き出した4つの項目を全てクリアしている上に成績も大変優秀なことが分かりました。今はプレ小学生で4月から小学校1年生という理想的な年齢です。
お母さんは<神様があなた方を遣わしてくれた>と眼に涙をため感謝の言葉を繰り返しながらも呆然という感じでしたが、私たちの方も神様から子どもを授かった気持ちになりました。
約束を取り交わし、家に戻った私たちは 、スカラシップに関わる正式な書類を作成しました。
1枚は「Laligurans Club
Scholarship Form」と名づけ、子どもの写真子どもの名前から始まり生年月日所属学校健康状態など11項目にわたる書類です。
2枚目は「Laliguranns Club’s Constitution」でクラブの目的や所在地。役員名(MotiさんはCoordinater
in Nepal )を明記。
そして 「Scholarship Project」 としてラリグランスクラブはタレントを持ちながら生活の事情で勉強を続けることが困難な主に低カーストの子どもをサポートします。私たちは子どもが10年生の卒業試験を優秀な成績で卒業できるようになるまでサポートします。私たちはそのために子どもを絶えず見守り支援をし続けますが子どもが条件に合わなくなった場合は支援はキャンセルになります。と言うようなことを明記しました。
次に「宣誓」とし <上記述を読みました。私たちは子どもが奨学生として選ばれた事が大変うれしいです。これから子どもが期待に沿い勉強をし続けられるように見守っていきます。 親のサイン >という書類です。
後日その書類を持ってお父さんの所にお母さんに連れられて面会に行きました
奨学候補生シリスティ・ミジャールは最初名前はシリステイ・ドゥラウと教えられました。両親がミジャールなのにどうして?ときくとミジャールではすぐに低カーストとばれていじめられるので名前をチェットリーに多いドゥラウに換えたというのです。(体が弱いので近くの私立校に通っているがそこには低カーストの子は少ない)でも名前を変えてもバレバレでいじめはなおらないとのこと。いじめにもめげずに学校に通うのは勉強が好きな事と成績が大変良いからだと思われます。身分の低い皮職人はミジャールの名前が多いということでお父さんは皮職人です。
お父さんは皮靴を作ったり修理をしています。スワヤンプナートの麓の小さな店を月1300ルピー(2160円)で借りて商売しています。2年前までは皮職人の下働きをしていて1つ請け負っていくらという不安定で少ない稼ぎだったのを頑張って店のオーナーになったとのこと。家からは遠くバス代が掛かるし店の隅で寝る事が多いとのこと。死を免れやっとのこった一人の子どもだけには教育を受けさせたいと願って頑張っているがこの生活ではいつまでそれが出来るか不安だったので本当に本当に嬉しいと喜んでくれました。
書類を読み聞かせサインをしてもらって第1回奨学生の誕生!
でも嬉しさの中に何かきつねにつままれた様子で不安げな様子も見せていました。
今ネパールでは、<訳が分からず突然警察に逮捕されて言いくるめられてサインした結果刑務所から出られなくなった。>という話がいっぱいあるのですが、こういう風におこなわれるのかなあ。なんて思いました!ご両親の不安を取り除くように早く新学期が始まればいいのですが。
私たちも初めてのことで少し不安。でも力を合せて前進前進。
これからも、こういう感じで一人ずつの出会いを大切にしながら奨学生を決めていけるのではないかと思いました。