** 2012.05/10 発行 **
パタレバンの丘からのマナスル峰(8163m) 2012.4.17. phto by SONOKO
本日カトマンズは晴れ。気温は最低11度最高30度。
今日明日は相変わらずバンダ(ストライキ)で学校や交通機関はストップです。
5月27日の憲法改正日が近づき、バンダが多いそうです。
ネパール視察旅行の報告がまとまりました。
写真が多いので立ち上がるのに時間が少しかかるかもしれません。
お楽しみください。
1 | オープンの日を迎えたLSG(Laligurans Sewa Griha) 久堀洋子 記 |
2 |
ラリグランスクラブ諸活動報告 |
3 | 2012年 小さな旅 <パタレバンリゾート> |
4 | ネパール面白新発見 |
5 | あ と が き |
久堀洋子 記 photo by SONOKO
LSC運営スタート!
今回のネパール視察旅行で、真っ先に訪問したいところは、LSGでした。
昨年4月の視察旅行では、まだ基礎工事の段階でした。その後モティさんからの報告で、少しづつ建築が進んでいる様子が伝えられてきました。途中10月に大きなお祭りダサインが入って、工事はお休みになったりしましたが、11月に完成しました。(通信82号参照)
ベッドやキッチンの設備、カーテンや敷物などをティさん夫婦が選んで設置してくださり、難問だった寮母さんもきまり、寮に入る生徒の選定もでき、今3名の視覚障害者がすでに入居たことは、通信85号でお知らせしたとおりです。(通信85号参照)
ネパールに着いて2日目の4月6日。早速LSG訪問。
ところが、寮母さんのブスパさんが昨夜腹痛で眠れず、今日は病院に行っているとのこと。
LSGへ行く途中で病院により、ブスパさんと初めて会いました。
胆石だったそうです。今日はちょっと元気がなさそうでしたが、写真で見たのより若々しくて、可愛らしいという印象。
LSGは、トリブバン大学のあるキルティプルの近くにあり、モティ家からタクシーで40分ぐらいかかります。幹線道路からちょっと入った、緑いっぱいの畑の中にLSGは1軒こじんまりと建っていました。前庭には、お花の苗が整然と植えられています。
1階は、玄関と、キッチンと食堂が一体になった大きな部屋。
2階は、大きなスタディルームと二つの部屋、洋式トイレのあるシャワールーム。
部屋の一つはブスパさんと2人の女の子、マニシャとシュナの生徒が使用。もう一つの部屋は男子生徒のルパックが使用。
勝手口の外には、食器や洗濯用の洗い場とネパール式のトイレが一つ。水の確保が大変なネパールにあって、ここには幸運にも井戸があり、モーターで屋上に汲み上げられたタンクから送られた水がちゃんと蛇口からでます。
なかなか上手に間取りができていて、まずはひと安心!
LSGは動き出しているのだなあ!と実感。
モティさんが上手に交渉してくださって、なんと新築1軒家の家賃が月14000ルピーです!
翌7日。再訪問
昨日はどんな具合か覗いただけだったので、この日はモティさん夫妻と私たちで、ブスパさんに、住居に不足しているものを聞いたり、使い勝手良くするにはどうすればいいか、お掃除はどうやっているのか相談するために再訪問しました。
キッチン用品の大半はサンタさんがすでにアレンジしてくれており、ネパール流の家事の指導に彼女は最適任者です。
シャワールームのお掃除の仕方については、五十嵐さんが率先して、たわしを持ってゴシゴシ、見本を見せてくれ、便器や洗面台がぴかぴかになりました。サンタさんはガス台の下のスペースや、抽出し、ネパール式の食器棚の収納の仕方についてアドバイスしていました。
サンタさんがその日の私達のランチ用に、いろいろな野菜を吟味して、買っていきましたが、ブスパさんはキノコを見るなり、「私はこれより、丸いキノコのほうが好きなんですが!」というので、みんなで、思わず笑ってしまいました。
その後、ブスパさんの料理したネパール料理を、ごちそうになりました。
4月20日。LSG設備品を運ぶ。
スーパーマーケットや、モティさんの近所のお店でLSGに足りなかったものを買い足しました。
大きなものでは、炊飯器、2090ルピー。停電で使えないこともありますが、圧力鍋で炊くよりずっと楽です。
ラジオ付きDVDプレイヤー、9200ルピー。(1ルピーは約1円)
ガスレンジの手前のマット、各部屋のゴミ箱、各人が使える衣装掛けや、竹製の棚など。
[左:シュナとマニシャの整理だな。自分できちんと整理が出来ます。]
[右:神戸の英語点字グループから頂いた点字本を読むマニシュ。見守るブスパさん]
日本と違い、大きなものを買ったとき、配達してもらうのに運搬料がかかります。それで、衣装掛けや竹製の棚などは、LSGに近い店で買い、モティさんのタクシーで何回も往復して運びました。
4月21日。デレ ラムロ(とても 素敵な)オープニング パーティ!
ネパールでは、結婚式や成人式など沢山人が集まりますが、親戚や同じ階層のつながりのパーティがほとんどです。もちろんビジネスがらみのパーティもありますが。
LSGのパーティはちがいます。国籍、カースト、貧富、健常者、障害者、みんな一緒。差別のない対等な人々の集まりです。
視覚障害者の生徒たちとその家族、寮母のブスパさんとその家族、LSGの建物のオーナーのシュニルさん、生徒たちの通学するラボラトリースクールの盲人のラメッシュ先生、モティさんとサンタさんと息子のアキオくん、モティさんのタクシー会社の運転手ディネッシュさん、クリシュナ・ルースさん(ラリグランスクラブでサポートし、今は病院で働く)、マドウさん(ラリグランスクラブがサポートしてラボラトリースクールに通う視覚障害の生徒)とその姉妹、そして私達たち二人の日本人の総勢30人です。
モティさんの司会で、まず、自己紹介から。みんな、はきはきと発言します。
病院に勤めているルースさんが、血圧計を持参して、みんなの血圧をはかる予定でしたが、血圧計の調子悪く、折角の試みがうまくいかず、残念しごく!
ラリグランスクラブからのサポートのおかげで、立派に看護助手の仕事を果たせるようになったクリシュナ・ルースさん。
時々LSGに健康診断に来てくれることになっています。
ここまで支えてくださった日本のサポーターとルースさんに感謝です。
マドウさんに早速歌を歌ってもらいました。音楽教育を受ける機会をつくってあげたので声楽の力がつき、去年より一段と上達しすばらしい歌唱力でした。歌は、「生きるためには勉強以外の体験もいつか役に立つのよ」という歌。
マニシャさんとシュナさんも続いて、「蝶よ、どこへ行く」という歌を可愛らしく歌ってくれました。音楽の先生とマドゥ先輩の前でちょっと緊張しているのか、手をしっかりつないで歌っていました。仲の良さも伺われて、ほほえましいものでした。
次は、マドウさんの妹ニナムさんが、DVDの音楽にあわせて踊ります。腰をくねらせて、リズミカルに、妖艶に。なかなかすばらしい!つられて、ルパックのお姉さんも踊り、それを見ていたブスパさんの4歳の娘クリパちゃんも見よう見まねで一緒に踊り、やんやの喝采!をうけていました。
次はだるま落としゲーム。ルパックが見本を示したら、みんなやりたがって大騒ぎ!
最初から崩れてしまう人、最後にだるまが転がり悔しがる人など、大盛り上がりでした。
最後に、にこにこ見ていたマニシャさんのおばさんが、すました顔で、すごいスピードで叩いてあっけなく成功させ、大歓声があがりました。
いよいよランチタイム。
ピザ、中華風鶏肉、ナンと豆カレー、果物を一人分のお皿に盛りつけます。飲み物はみんなの好きなコーラにファンタ。
サンタさんはじめ女性たちが、あうんの呼吸で手際よく、スピーディにすぐにみんなに行き渡りました。
なかなか美味しい!お隣の人と話が盛り上がります。おかわりの希望者もたくさんいて、あっという間に食べ物はなくなりました。
今日は多人数なので、紙皿とプラスチックのスプーンやフォーク、コップを使いました。片付けも瞬く間に終わりました。
パーティの最後を締めくくるのは、ラメッシュ先生の歌です。
さすがに先生、哀愁のこもったすばらしい歌声で、一同みんな聞き惚れました。
「今日のパーティは、デレ ラムロ!」
「目の見えない子供たちが安心して住むことが出来、学校に通える!こんなにすてきな寮ができて本当に嬉しい。感謝しています」
「今まで、目の見えない人たちは、出来ないことがたくさんあって、不自由な可哀相な人と思っていましたが、今日パーティにきて、そうじゃないとわかりました」
「ハンディキャップと言いますが、目の見えない人は私達よりよく見え、深く考えていると思いました」
参加者からの、喜びと感謝の声に見送られて、うれしい気持ちで帰路につきました。
シリスティ・ミジャル
7年生に進級しました。日本でいうと中学一年生です。
最初の出会いから6年経ち、幼女からすっかり少女になりました。
毎年お母さんと迎えてくれるのですが、今年はお母さんが仕事を休めず、シリスティが1人で迎えてくれました。
歓迎のきれいなバラのブーケも用意していました。
トイレを貸して欲しいと洋子さんがおねがいすると、「チョット待って」と言って走ってゆき、「どうぞ」と言われて行くと、きれいに掃除され水も用意されていたそうです。
いつも母親の後ろに隠れるようにして、お母さんばかり元気に話していたのですが、今回はしっかり意見も言え留守を守ることが出来ました。
3年前ぐらい前に一度情緒不安定な時があり心配しましたが、今は表情も明るくなり安心しました。
後日、お母さんお父さんからも電話があり、貧しくとも健全な家庭が営まれていることが分かって嬉しく思いました。
アシャ・タパ アヌプ・タパ 姉弟
アシャは8年生に進学しました。日本でいうと中学2年生です。アヌプは5年生になりました。
姉弟は母方のおばあさんと3人で暮らしています。父親はずっと行方不明です。母親も外国に行ったきり音信不通でしたが去年ちょっと帰って来ました。お金は男に騙されたとかで持ち帰らなかったそうです。丁度私たちがネパールに滞在中のことでした。
せっかくのお母さんとの再会はギクシャクしてアシャは情緒不安になりました。家を出たいと泣いてモティさんに訴えたほどです。
アヌプは幼いので素直に喜んでいたようです。母親は私たちと会うことを避け、この先どうなるかと心配しましたが、又外国に行ってしまい、アシャはホッとしたようで、今回とても明るく元気でした。
アヌプは、母親がいなくてちょっと淋しいと言っていましたがくったくなく、しっかり者の姉に守られて元気に育っています。
アシャは、母親が自分の思う理想像からかけ離れているのに耐えられないのではないかと思われます。
でも困難をバネに勉強に頑張るアシャは生き生きしていました。母親のことを母親失格と思っているようですが、家の中は以前より確実に整理が行き届くようになっていて、母親はそれなりに義務を果たしたのではないかとも思われます。
アヌプは無邪気で可愛いです。勉強にも意欲を持ち始めたようです。
成長が楽しみな姉弟です。
ビシャル・タマン
6年生になりました。
お母さんが2年前に再婚して弟が生まれました。
義父は外国に出稼ぎに行っています。
今回行った時、義父が帰国中と聞きました。家にはいませんでしたが。
母親は絨毯工場で働いていますが、会社が潰れて職がなくなるかもしれないと心配していました。そうなると他の仕事を探しビシャルも転校しなくてはならなくなるかもしれません。
お母さんの顔付きはこれまでにない暗い表情でした。
ビシャルはこれまでずっと優等生でしたが、最近成績が振るわなくなりました。悪い友達がいるようだということです。
家庭環境が義父のことで揺らいでいるのではないかと思われました。
いつもニコニコ明るい表情を見せていたビシャルにも今回陰りが見えました
モティさんが目を離さず様子をみることにしました。
シャルミナ・バッタライ
教師を志す視覚障害者のシャルミナさんのために、専門学校の学費と下宿の費用をサポートしています。
最近下宿を変わりました。変わった理由を詳しく話しませんでしたが、前は4人部屋でしたがお姉さんと二人で住みたいと思ったようです。
お姉さんも視覚障害者で、アパートの1室を借りて二人で生活を始めました。
写真:左シャルミナ 右お姉さん:水は外から汲んできて部屋で炊事をする。目が見えなくても水汲み炊事何でも出来るそうです。
お姉さんは他のボランティアグループから支援してもらっています。
シャルミナさんもしっかりしていますが、お姉さんはさらにしっかりしています。
お姉さんと一緒だから安心です。
お姉さんも大学で勉強中ですが、距離的によければLSGに住まわせてあげられないかと考慮中です。
NBSA( Nepal Blind Support Association)代表 渥美資子さんを訪問
NBSAは2002年に設立されたネパールの視覚障害者をサポートする会<http://nbsa.sakura.ne.jp/>です。ホームページを見てください。
去年末になって神戸シルバーカレッジ英字点字グループの方から紹介していただきました。(通信84号参照)
ネパールで視覚障害者施設を始めるにあたり、最近のネパールの視覚障害者が抱える問題や、今後色々気をつけなければいけないこと等の教えを請うために会いに行きました。
たくさん貴重な話を聞くことが出来ました。これからもご助言をいただきながらお互い協力できることをし合いましょうとお約束しました。
これからもよろしくお願い申し上げます。
写真:渥美さんは後列右から二人目
ラリグランス ケア センター (ラリグランス保育園)
毎年のことながらこの時期は新園児をむかえて保育園中に泣き声が鳴り響き先生とはお話も出来ません。
NBSAからいただいた可愛い幼児用ゴム草履や日本からのお土産はプラバ先生に預ける形になりました。
ラリグランスクラブの創立はラリグランス保育園の家賃を賄うことから始まったこともあり、ノートルダム修道会とは切っても切れぬ関係があります。
けれど11年経ち、ラリグランスクラブ独自の活動も広がり、今年からはLSG運営も始まり経費もかかるので、本年度からは、家賃支援をストップすることになりました。
ノートルダムのシスターにも了承して頂きましたが、申し訳ございません。無力をお許しください。
1人の先生の給料と少しの食費を提供することは続けますので、これからも出来るだけの協力は惜しまないつもりです。
パタレバンリゾート
ネパール視察旅行の間に、小さな旅を入れることにしています。
今年の旅はパタレバンリゾート!
カトマンズからわずか16Km離れたところなのに、緑に囲まれ、手入れの行き届いた花壇にブドウ畑、ヒマラヤの遠望と申し分ない立地条件。それに加えて設備は完璧、自家製ワインを振舞われるリッチなワイナリーホテル!
写真:左から野の花2種 コエラロの花 プりフル(女性の鼻飾り)
メンバーは、モティさん家族と私たち2人に20年ほど前からネパールに通い種々の研究発表もされているそのワリにはおとぼけのY女史の日本人3名。他に宿泊者の姿はありません。
観光客はむろんネパール人も知らない穴場。モティ家族は1泊で私たちは3泊しました。
裏山の登山や近くの村にスタッフの若者に案内してもらって3婆は絶えず上機嫌。
写真:左 童心に帰って遊ぶ 右 日本で8年間ビジネスを勉強してきたパタレバンリゾートホテルの社長さんと
日頃から俳句に親しむ(苦闘している)私たちと素人を装うY女史とで句会を開催。
選句
天・・・ドッコ負う女の裸足赤土捉う Y女史
地・・・パタパタとダルシンはためき風光る Sonoko
人・・・廃屋に桜に似たるコエラロの花 Yoko
句会をしたことで、一段と思いで深い旅となりました。
☆☆☆アーユルベーダー診療所を訪ねる
モティさんのお兄様が昨年末に癌でお亡くなりになりましたが、亡くなる前に藁にも縋る思いで奥様がカトマンズで評判のアーユルベーダーの薬を処方して欲しいということで、モティさんが診療所を見つけて訪ねられたそうです。
医者の話によると現在のアーユルベーダーでは癌の初期には確実に効果があるけれどお兄様のような末期では効果は望めないそうで、でも苦しみを軽減することは出来るということでした。
処方箋は @麦の若芽(結婚式やダサインの神事時に髪に飾る) Aアロエ B牛の尿 CD葉(名前を失念)の5種をミキサーで混ぜたものを1日1回150cc飲むというものでした。
義姉さんはそれを、夫が亡くなるまで続けられたそうです。
私は以前からアーユルベーダーに興味があったので勇んで診療所を訪ねました。
診療所は謎めいた雰囲気は全くなく、医者も誠実そうでカッコいい立派な方で、話を聞くだけで病気も治りそうな感じ。
問診は無料です。
洋子さんは、友人の癌手術後の養生について話が聞きたく、私は南京虫に足を30箇所ほど噛まれた所がひどく痒くて苦しんでいたので処方を聞きたかったのです。
まず洋子さんが関心のあった癌手術後の治療としては、癌の治療や抗がん剤による副作用の緩和には上述の義姉に説明された処方をするのですが、癌が治り健康になった場合は、癌にならないために免疫をつける食事とヨガが効果的ということでした。
又、牛のおしっこは新鮮な採取したてのものでなくてはならず、日本では手に入らず許可もされていないので、癌を患ったら出来るだけ早い時期にネパールで治療を受ければよいということですね、、。
私の虫刺されについては、先生は私の足を一目見て、「虫さされによりアレルギーを起こした」と即答。
そういえば、以前蓼科で虫にさされたところからかぶれて皮膚科に行った所、同じ診断でステロイド軟こうで治した経験があり、すぐに納得。
それでアーユルベーダーの治療液を買いました。1本80円。ラベルに23種類の薬草が調合されていると書いてあるみたい。
さっそく塗りましたら1日でかゆみがおさまり3日で治りました。
足に塗ると持病の坐骨神経痛にも効いたようですが、クレオソートのような匂いがきつくて2〜3回試しましたがそのまま薬棚に飾っています。
藁にも縋りたくなった時までとっておきます。あ、賞味期限が、、。2013年の2月まででした。使わなきゃ、、。
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ネパール視察旅行の報告
楽しんでいただけたでしょうか?
今回の貴重な体験を生かして
2012年度の活動を実りあるものになるよう頑張ります。
変わらぬご支援をお願いもうし上げます。
ラリグランスクラブは
ゆうちょ銀行 総合口座への振込み ATMによるゆうちょ銀行口座間の振込み手数料は無料です。 窓口で郵貯口座からの振り込みは手数料140円が必要です。 住所不明のため領収書の発行が出来ません。 |
記号14360 番号68422691 名義 : ラリグランスクラブ 口座の種類 :普通口座 |
ゆうちょ銀行 振込用紙を使っての振り込み メッセージを書くことが出来ます。 住所氏名をお書きください。領収書を発送いたします。 申し訳ございませんが振込み手数料が必要です。 (窓口での振り込み手数料:3万円未満120円・3万円以上330円) (ATMからの振込み手数料:3万円未満80円・3万円以上290円 ) |
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